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50年続くデザイン経営で、日本の美を世界に発信。本場が認める家具づくり
株式会社カンディハウス 代表取締役社長 藤田 哲也さん
田村 朋美
2018/11/12 (月) - 08:00

北海道の中央に位置し、札幌市に次いで経済や産業、文化の中心都市である旭川市。豊かな森が育んだ良質な広葉樹材と、それを保管するのに最適な気候に恵まれたことで、古くから家具づくり産業が根付いている。その産業を50年にわたりリードしているのが、世界各国に進出し世界レベルでのものづくりを実現させているカンディハウスだ。消費財ではない、100年以上使える本物の家財を作り続ける同社の、デザインを基軸にした経営とものづくりに対する思い、世界での挑戦について、社長の藤田哲也氏に聞いた。

50年前から徹底していたデザイン経営

カンディハウスは2018年9月14日で創立50年を迎えました。創立以来、目指してきたのは、デザインを基軸にした経営」でものづくりをし、世界をフィールドに勝負すること。最近、「デザイン経営」に注目が集まり始めていますが、カンディハウスでは50年前からこだわり続けています。

経営者が国内外のデザイナーをリスペクトして一緒に家具づくりをするのはもちろん、さまざまなグラフィックツールやショップ、組織、人材育成などすべてに、デザイン思考が根付いている。この、日本では先駆けともいえる経営スタイルの基礎を築いたのは、創業者の長原實でした。

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カンディハウス 社長 藤田哲也さん

長原は、デザインや家具に関するさまざまな組合や連合会の会長などを歴任し、また北海道功労賞などの功績を残して2015年に逝去。私が社長に就任したのは、その2年前の2013年です。まずは、カンディハウス創業後の歩みからお話したいと思います。

旭川から世界に発信したい

家具づくりが盛んな旭川市の隣、東川町で生まれ育った長原は、学校を卒業後、家具職人の世界に飛び込みました。ただ、単に職人でいるだけでは世界で勝負できないと思い、夜な夜な家具づくりの本場ヨーロッパのデザインを勉強したと言います。そして、勉強をすればするほど、現地で学びたいと思うようになりました。

そんなとき、旭川市が「将来の木工業界を牽引する若手人材3人をドイツに派遣する」と募集を始めます。長原は、これはチャンスだと応募したところ、念願叶って選出され、ドイツで3年半の技術研修を受けることになりました。

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ドイツに渡った当時の長原さん

現地では、世界トップクラスのものづくりを学びながら、休日には美術館や博物館、また北欧でデザイン性の高い家具を見て、刺激を受けていたと言います。そんなある日、港にたくさんの木材が運ばれている様子を見ました。近寄ると懐かしい匂いがし、よく見ると木材には「OTALU」の焼印が。

北海道の木材がヨーロッパに運ばれ、ヨーロッパのデザイナーと技術者によって加工されて、世界に輸出されている。もちろん、日本にも……。この現実に長原はショックを受け、「北海道の木材を使って北海道で家具を作り、世界に輸出したい」と強く思ったそうです。そして、帰国から1年後の1968年、旭川にインテリアセンター(現・カンディハウス)を設立しました。

ただ当時の日本は、家具といえば衣装箪笥などの「婚礼家具三点セット」が主流で、長原がヨーロッパで学んだ「デザイン性の高い椅子」などの家具は、見向きもされなかったそうです。それでも長原は、暮らしを豊かにする家具を広めたいと、業界の慣習とは違う独自の販売ルートを探し求めました。

風向きが変わったのは、創立10周年を記念して行った「Hockファニチャーショー」のとき。東京日比谷の日生会館で、外部デザイナー7名にデザインを依頼した新作展を開催すると、脚光を浴びたのです。そこから矢継ぎ早に横浜や東京にショールームを開設。そして数年後の1984年、アメリカのサンフランシスコに現地法人を設立しました。

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アメリカの現地法人、現在の様子

アメリカでは現地のデザイン事務所などとプロジェクトチームを組み、ブランド名や製品コンセプトなど、コーポレート・アイデンティティを再構築し、アップルやスタンフォード大学、バンク・オブ・アメリカなどの大口取引につなげていきました。私が入社したのは、ちょうどこの頃です。

大切なのは、日本の美を伝えるデザイン

1980年代からアメリカ市場に展開していましたが、“世界で売れるものづくり”が本格化したのは2005年。きっかけは、ドイツ・ケルンで開催された「ケルン国際家具インテリア見本市」に初出展したことでした。

当時、カンディハウスはヨーロッパで無名の会社です。それでも、ものづくりには自負があったので、日本で売れている製品を出品しました。

しかし各国から言われたのは、「素材や加工、仕上げなどの技術はとても高いが、なぜ北欧家具の真似をしているんだ」と。日本の良さや美しさを伝えるデザインが圧倒的に足りなかったんです。結果、一件も商談につながらないという、無残な結果に。

世界で勝負するには、日本らしさを追求しなければ通用しないと、痛感しました。

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2005年のケルン国際家具インテリア見本市

そこで、ケルンで知り合ったドイツの著名なデザイナー、ペーター・マリー氏にアプローチし、新作のデザインを依頼。来日してもらって、直島をはじめ京都や東京など各地を案内して周り、日本の特性を共有しました。そして試行錯誤のうえ生まれたのが「tosai LUX(トーザイ ラックス)」というシリーズです。

tosaiとは東西を意味しており、日本の繊細な美しさ・美意識をヨーロッパのデザイナーが表現する、日本とヨーロッパの融合を表したもの。

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tosai LUX(トーザイ ラックス)シリーズ

そのデザインをカンディハウスの職人が形にし、翌年のケルン国際見本市に出品した結果、品質はもとよりデザインをヨーロッパで認められました。以降、ケルンの見本市には毎年出展を続けており、2年前からニューヨーク、来年はイタリア・ミラノでのイベントにも出展を予定しています。

営業から始めたキャリア。たたき上げで社長へ

少し話は戻りますが、私は1982年、アメリカ進出の2年前に入社しました。学生時代はインテリアデザインを学び、ものづくりに携わる気でいましたが、入社後は札幌営業所の営業職に配属。

当時はバブル前でとにかく忙しく、ホテルや図書館、商業施設、リゾート施設など、木製家具が必要な法人や行政と日々商談をしていましたね。業績は右肩上がりで、札幌営業所は全国トップの営業成績を出していました。

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しかし、数年後にバブルは崩壊。私は売上が半分以下まで落ち込んでいた横浜営業所の立て直しを命じられ、所長として異動することになったのです。

3〜4年かけて、一人当たりの売上が全支店のトップになるまで回復させたのですが、その過程で「自分でビジネスをやってみたい」と思うように。そこで1998年にカンディハウスを退社し、グループ販売会社として横浜みなとみらいにカンディハウス横浜を設立しました。

当時の日本経済はどん底です。ですが、「ここまでどん底なら、あとは上がるだけ」とポジティブに捉え、それからの数年は経営者として事業を軌道に乗せることに奔走しました。

その後、2007年には本社の取締役に就任し、専務取締役営業本部長も兼務で携わることに。ケルンで知り合ったペーター・マリー氏との共同開発を進めるなど、役割は増えました。

もちろん、営業本部長を拝命したわけですから、たとえば福岡なら同業他社はどんなビジネスをしているのか、どんなお客様でどんなニーズがあるのかなど、泥臭く市場調査やマーケティングを実施しました。

そして2013年に、カンディハウスの社長に就任しました。

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海外には必ず自ら出向き、契約は社長同士で握手する

社長に就任以降、特に注力しているのは海外戦略と組織改革です。海外戦略としては、ここ数年で台湾やオーストラリア、中国、香港、シンガポール、インド、タイといった、アジア・オセアニア地域への進出を実現させました。

自ら各地に出向き、市場調査やディーラー調査を行うのはもちろん、その地域の本当の物価はどうなのか、JETROや日本大使館・領事館、現地に住む日本人から話を聞くことを徹底しています。

そして、販売店契約などを結ぶ際は、相手側の社長もしくは社長と同等の権限を持つ人に来日してもらい、東京のショップや旭川の工場を見て、理念が合う場合のみ締結。必ず私が相手側の社長と握手して契約することを徹底しています。もちろん、それは国内の販売店も同じです。

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社員の声を吸い上げ、組織を改革する

もう一つ、注力しているのは組織改革です。外部コンサルも入れて、ものづくりの考え方や、生産設備・組織のあり方など、この先も強い組織であり続けるための改革を進めています。

もともと変化に強い組織ではありますが、大きな変革をもたらすには、社員一人ひとりの意識改革が欠かせません。そこで社長就任後の数年は毎日のように少人数でのランチミーティングを行い、「何でもいいから言って欲しい」と、社員の声を吸い上げるコミュニケーションを取りました。

そして、どんなに小さなことでも「改善すべき」と思ったことは、すぐに改善してきました。たとえば、休憩室の椅子が汚い、駐車場に水たまりがある、駐車場に街灯が欲しい、など。些細なことでも社員にとってはストレスです。改善されたら純粋に嬉しいですし、なにより社員は自分の意見を聞いてもらえる実感を持てます。

なかにはプロジェクト化しているものもあります。たとえば「オフィス環境を変えたい」という要望には、どうしたいかを自分たちで考えてもらい、先進的なオフィスに視察に行ってみるなど、プロジェクトを進めてもらっています。

ほかにも、評価制度やメンター制度など、みんなで議論してもらって改善を続けている人事プロジェクトもあります。どれも共通しているのはボトムアップで改革を進めること。2年前からは、社員自ら改善意識を高めて行動する、生産改善の一大プロジェクトが生まれ、日々の改善に取り組んでいます。

カンディハウスは旭川本社・工場だけでなく、国内複数の拠点と海外の現地法人やパートナー、そして国内外の契約デザイナーがいます。多様な人が集う組織だからこそ、さまざまな人の意見を吸い上げるボトムアップ型で、より強い組織を作りたいと考えています。

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旭川を世界的な家具づくりブランドに

私たちが成し遂げたいのは、家具を通して日本の生活文化を微力でも向上させ、世界に日本の美意識を伝えること。そして、「家具ブランドといえば旭川」と認識されるよう、北欧のように世界的ブランドとして確立させたいと考えています。

実は、旭川には豊かな木材と職人やデザイナーが集まっているだけでなく、ものづくりの教育機関やデザイン協議会など、行政も関与したバックアップ体制があるんです。世界的にも、大規模な家具づくりのインフラが整っているのは珍しいこと。

そこで、このインフラを生かし、旭川家具工業協同組合が中心となって、1990年から3年ごとに、世界最大級の木製家具デザインコンペティション「国際家具デザインフェア旭川(IFDA)」を開催しています。

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2017年の国際家具デザインフェア旭川(IFDA)

2017年に開催された記念すべき10回目は、30カ国から683点もの応募作品が集まりました。そのデザインを国内外の著名な建築家やデザイナーが審査し、書類審査を通過した作品の一部を旭川の職人が形にして最終審査に挑みます。

この場をきっかけに生まれているのが、世界各地のデザイナーとメーカーの交流や商談。こうした活動を続けることで、旭川を世界的ブランドにするのはもちろん、クリエイティブ人材の次世代育成や他地域からの受け皿となり、旭川をこの先100年、200年続く「ものづくり王国」にしたいと思っています。

優れたデザインを旭川の良質な木材を使って職人が形にし、日本の美意識を世界に発信するために。カンディハウスはこれからもずっと、挑戦を続けます。

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株式会社カンディハウス 代表取締役社長

藤田 哲也(ふじた てつや)さん

1982年、株式会社インテリアセンター(現 株式会社カンディハウス)に入社。札幌支店や横浜営業所にて営業・販売業務を経験した後1998年、起業の為同社を退社しグループ販売会社となる株式会社カンディハウス横浜を、横浜・みなとみらいに設立。経営や営業分野での実績から2007年、株式会社カンディハウス 取締役営業本部長に就任。2009年、専務取締役営業本部長を経て2013年、代表取締役社長に就任。本社旭川を拠点に国内外の営業活性化はもちろん、創立50周年を機に、生産体制の改革、更なるブランディング強化に取り組む。

株式会社カンディハウス

「長く愛される家具をつくる」という理念のもと、世界中に新しいデザインを求め、良質な木材を選び、堅牢でメンテナンスしやすい構造の家具づくりに取り組んでいる。2018年、創業50周年を迎える。

住所
北海道旭川市永山北2条6丁目
設立
1968年9月14日
従業員数
277名(男204名 女73名)
資本金
1億6000万円
事業概要
住宅・オフィス・コントラクト家具、特注家具及びホームファニシング関連商品、インテリアアクセサリー、インテリアデザイン・設計・施工 インテリアデザインの企画・設計・施工・及び工事監理
会社HP
https://www.condehouse.co.jp/

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