ZOZOグループと地方企業の新たな可能性を、宮崎で切り拓く(前編)
株式会社アラタナ 代表取締役社長 濵渦 伸次さん
GLOCAL MISSION Times 編集部
2019/02/11 (月) - 08:00

今や世界中の企業が熱視線を注ぐ、EC(電子商取引)。そのシステム構築で日本有数の実力を持つ企業が宮崎にあることをご存じだろうか。濵渦伸次代表率いる株式会社アラタナがこれまでに手がけたECサイトは800件以上。その技術力が認められ、2015年からはファッション通販サイト「ZOZOTOWN」を運営するZOZOグループへの参画も果たした。地方企業の新たな理想形を模索し続けている同社の思いを、濵渦代表にうかがった。

きっかけは、アルバイトで始めたネットショップ

―まずはご経歴を教えていただけますか?

私は宮崎の都城工業高等専門学校に通っておりまして、卒業してリコーという会社に入りました。その頃はあまり宮崎が好きじゃなくて、就職したら外に出ようと決めていたんです。ところがカメラが好きで入社したのに、配属されたのはコピー機の部署…。3ヶ月で辞めて、宮崎に帰りました。

―好きではなかった宮崎にUターンされたのはどうして?

高校生の頃はやっぱり東京への憧れがありましたし、田舎ってかっこ悪いと思っていて。でも出てみたら、宮崎の良さに気づいたんです。
ところが帰ってみると、高専時代のクラスメイトで宮崎に残っているのは、すぐ帰ってきた僕ともう1人だけ。宮崎の税金で教育を受けて育ってきた人間が、2人しか残っていない…。これはまずいなぁと思って。それで今も「アラタナ」の取締役をやっている穗滿(ほまん)という同級生と一緒に会社を作ったんです。

―なぜ、働く場所を自ら作ろうと思ったのでしょう?

大変失礼な話なんですけれども、働きたいと思える会社が当時の宮崎にはなかったんです。だから同級生たちも職を求めて出ていった。だったら僕らが宮崎で、仲間が帰ってこられるぐらいの大きな会社を作ろうと思って始めたのが、「アラタナ」という会社なんです。

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株式会社アラタナ 代表取締役社長 濵渦 伸次さん

―すぐに今の事業を始めたんですか?

いえ、最初はデザイン事務所とカフェを経営していました。ところがカフェが半年で潰れてしまって、借金がすごくできてしまったんです。それを返すために、ブライダルのカメラマンだとか、アパレルの販売員とか、いろいろなアルバイトを掛け持ちしていました。そんなある日、アルバイト先の洋服屋さんの社長から、「お前、高専卒だから、今流行りのネットショップを始めてみろよ」と機会を与えてもらったんです。それがものすごく売れましてね。地方でもこういうチャンスがあるんだなぁと気づかせてもらったんです。この可能性を活かして自分でも起業できないかと思うようになりました。全国のショップにECサイトを安く提供できるようなビジネスができれば、喜んでもらえるのかなと。それがECサイトを始めたきっかけです。

―借金を抱えた状態からスタートして、企業として大きく成長されてこられた秘密は何だったのでしょうか?

僕らが起業したのは2007年。そこから2008年から2009年にかけてリーマンショックがあって、東日本大震災があって、市場としては恵まれた10年間ではなかった。そんななかで地方のベンチャーが資金調達を受けるということは、あまり事例がなかったはずなんです。でも僕らはその10年の間に、ベンチャー企業や地元銀行のキャピタルなどから9億円ほど資金調達することができて。それが成長への大きな追い風となりました。

―事例のないことを成し遂げるというのはなかなか難しいことだったと思いますが、どういったアプローチで実現されていったのでしょう?

当時はECサイトを作るということ自体が、初期投資で1000万円以上かかるものだったんです。それを僕らは初期費用不要で、しかも月額5,800円というクラウドで提供するようにしました。なので回収までものすごく時間がかかるんですが、初期費用が1000万円かかると、多くのブランドさんやショップさんに使ってもらえない。だから回収するまでの資金繰りが必要だったんです。でもそれは融資だけだとなかなか難しいので、いろんなベンチャーキャピタルの方々に熱く話をしました。僕らは初期費用をもらわない代わりに、付き合ってもらいやすいので、回収が立ちやすいビジネスモデルでもあったんです。それで資金調達をいくつか重ねながら大きく成長してこれた、というのが背景にあります。

―もともとエンジニアでいらっしゃった濵渦さんが、どのようにして経営者としての視点を培われていったのでしょう?

走りながら考えた、というか。最初にカフェを潰して痛い思いをして、そこから会計の勉強を始めました。でも都会だったらできていなかったかもしれません。宮崎は坪5000円ぐらいで家賃が賄えたり、固定費が安かったという点で資金繰りもなんとか乗り越えられましたしね。地方だからこそ、やってこられたのかなとも思います。

前澤社長との出会い。初対面の場で伝えた熱い思い

―次は、ZOZOグループに参画された経緯を教えていただけますか?

僕らは、ECサイトだけを作るということをずっとやってきたんですけれども、やっぱりシステムだけではダメだと。物流も自分たちでサポートしていかなければならないというタイミングが来て、その時に前澤と出会えたことがきっかけになりました。彼も千葉で会社を作り、今も千葉に本社を置いているのですが、「ZOZOBASE」という物流倉庫を見た時に、彼らには勝てないなと思ったんですよ。だから一緒にやろうと。アパレルショップが僕らのメインのクライアントだったんですけれども、そこも一緒に物流をやらないとダメだなと感じまして。ブランドさんって在庫を分散できないんです。そこで「ZOZOBASE」を使って自社ECを支援するという方向にかじを切ったのが3年前ですね。

―前澤さんとの出会いはビジネスを通じて?

自分の知り合いの経営者に「前澤社長に会ってみたい」とお願いしたんです。僕もファッションが好きでしたし、当時「ハニカム」というWEBマガジンの運営もしていたこともあって、前澤も興味を持ってくれていたようで、会う機会をもらうことができました。そのときにA3のペラの事業計画を作って、僕らはこういうことができますというのを、いきなり前澤にぶつけたんですね。僕は物流倉庫を見て一緒にやりたいと思ったし、僕らと組んだらこういう良いことがありますよというのを、宮崎からやってきた当時29歳くらいの人間がぶつけたわけです。でも前澤は話を聞いてくれて、「一緒にやろうよ」といってくれたんです。

―持参した事業計画書が一枚だったというのは何か狙いが?

前澤も忙しいだろうなぁと思っていましたし、自分の思いを簡潔にまとめると1枚で十分だったっていうのもあって、分厚い資料を持たずに一枚だけ持っていきました。

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―そのA3一枚に、心を動かすものがあったんですね

感じてもらえたのかなと思います。それから3年以上経った今でも、僕はこのグループにいるのが楽しいですね。「次どうするの?」といろいろ言われるんですけれども、僕は今このグループを大きくしていく、アラタナを大きくしていくっていうのが、一番楽しい。宮崎に本社を残すということだけ買収の条件に入れて、それにも合意してもらえましたし。

―子会社化は、社員にとっても大きなこと。反対意見はなかったのでしょうか?

それはありました。もともとは宮崎でIPOをめざしていたので。でもZOZOグループに入った今の方が確実に成長できていると思うし、みんなも楽しく仕事ができていると思います。

―ZOZOグループに入ってよかったことは?

いろいろありますが、僕は付加価値を重視したビジネスモデルに切り替えられたということが大きいと思っています。地方ってどうしても労働集約型になりやすいのですが、僕らはそこから脱却したかったんです。仕事の付加価値を上げたかった。東京と同じ仕事ができているのに、地方であるがゆえに給料が安いことに納得がいかなくて。社員の初任給を18万から25万に大幅に上げたり、そういったチャレンジができているのも、付加価値を上げることができたおかげだと思っています。

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宮崎は大好き。でも、地域貢献が目的ではいけない

―宮崎から拠点を動かさないという条件は、やはり宮崎の経済を活性化させたいという思いからでしょうか?

僕は、宮崎のために仕事をしている、ビジネスをしている、という意識はまったくないんです。生まれ育った場所が宮崎だった、というのが一番の理由で、それに意味はあまりないんですよね。

―それはなぜでしょう?

それってなんとなく胡散臭く思えてしまうんですよ。どこでもビジネスできるということは、イコールどこでもライバルができる環境だということ。やっぱり勝ち残っていくことが一番の目的になるべきだと思うんですよね。だから今、僕はアラタナがすごく好きで、ZOZOが大好きで、会社を大きくして、雇用を大きくして、「“結果的に”地域に貢献した」と言われるぐらいがちょうどいいなと思っているんです。
ただ、恩返しみたいなプロジェクトはやっています。やっぱり好きなんですよね、宮崎が。外に一回出たことで、育った場所が好きという気持ちはより強くなりました。

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―宮崎ならではの資源を生かし取り組んでいるプロジェクトはありますか?

アラタナ自体は、宮崎とか東京とか拠点の垣根がない状態で事業を運営できているのですが、逆に宮崎だからしかできないビジネスもたくさんあると思っていて。例えば宮崎の野菜を東京に1時間で届けるというサービスも、僕個人が投資家として携わっています。それこそまさに、宮崎の強みを生かしたビジネスですね。それから近年、「青島プロジェクト」というのも始めました。アラタナの創業メンバーが出資をして、宮崎の良さが伝わる場所を再開発し、ホテルや、アラタナのようなベンチャー企業が生まれるワーキングオフィスや、レストランを作っていくプロジェクトです。

サーフィン後に出勤する社員たち。副業もOK

―労働集約型の脱却とともに、社内での働き方も改革されてこられたのですか?

そうですね、自分を成長させるための副業はOKにしていますし、勤務時間もフルフレックスにしたいと思っています。自分もそうなんですけれども、働きたい時に働くのが一番パフォーマンスが高いと思っていて。しかも宮崎という場所にあるので、朝サーフィンして出勤する人間も多かったりするんです。それだけ自分のライフスタイルもつくりやすいんです、宮崎は。しかも東京並みの給料がもらえて、通勤は10分?15分ほどですから。

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―地方ならではの働き方ができるということですね

宮崎はコストが安いからどうぞ、というのは嫌なんです。自分たちを安売りしてうまくいく事業なんてない。でも地方の行政の方たちって「人件費が安いですよ」と言って、企業を誘致しているわけです。それにすごく違和感があって。そうじゃなくて、もっと違うアピールポイントがあると思っていて。地方への誘致のあり方も変えていきたいですよね。

―自分のライフスタイルを大事にできて、東京と変わらない給料がもらえる。かつ宮崎で使うお金っていうのは、東京とは全然違うわけじゃないですか。ということは可処分所得も大きくなりやすいわけで。だったら宮崎で働く方がいいし、宮崎に会社を構えたほうがいい人材が集まりますよと。そういう誘致の仕方のほうが理にかなっている気がしますね

地方のベンチャーの一番のネックは、コストが安いことに甘えることだと思っているんです。コストが安いぶん給料は多くなるはずなのに、コストが安いから人のコストも抑えてしまう。それが、ベンチャー企業が育たない一番の理由かなと思っていて。僕らはそこを変えていきたいんです。価値のあるものを作って提供しているのであれば、その対コストはもらうべき。生活コストは安い、でも給料は高い、という構造になっていいと思うんです。

―給料や働く環境を良くすれば、良い人材が入って、かつ会社も成長していく、という御社の事例がロールモデルとなって、宮崎や他の地域の企業もならってくれたら理想的ですよね

どこかで「宮崎なめんなよ」っていう気持ちもあるんですよね。やっぱり宮崎のことが大好きだし、変わるきっかけは作りたいなと思っているんです。とにかく、安売りするなっていうのが、地方創生で僕が一番感じること。安売りしなければ、もっと良い人が来るのになぁと思います。だから企業誘致をするよりも、良い大学を作って、良いベンチャー企業を育てるほうが地域活性化につながると思いますね。シリコンバレーにスタンフォード大学があって、そこにGoogleとかができたように。行政はそれをやった方がいいと思うんです。

(後編へ続きます。)

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株式会社アラタナ 代表取締役社長

濵渦 伸次(はまうず しんじ)さん

1983年、宮崎県生まれ。都城工業高等専門学校を卒業後、東京の大手メーカーに就職するも、3か月で宮崎へUターン。と同時に起業を決意し、デザイン事務所とカフェを立ち上げたが、経営に失敗。しかしアルバイト生活のなかで始めたアパレル店のネットショップが成功。ECサイトにビジネスチャンスを見出し、2007年に専門学校時代の友人とともに「アラタナ」を設立した。

株式会社アラタナ

2007年、宮崎市に設立。資本金9900万円。従業員数約120名。ECサイトの構築・運営に特化したビジネスを展開中。ブランドイメージに沿ったデザイン制作から、サイトの立ち上げ、マーケティング、運営の効率化まで、ECサイトをワンストップでサポート。2015年には日本最大級のファッション通販サイト「ZOZOTOWN」を運営するZOZOグループの一員に。ZOZOグループのハードとソフトを活用した新たなサービス開発に力を注いでいる。

住所
宮崎県宮崎市橘通東4丁目8番1号 カリーノ宮崎7階(宮崎本社)
設立
2007年5月1日
従業員数
取締役・執行役員9名/監査役1名/社員数120名
資本金
99,000,000円
グループ紹介
東証1部上場 ZOZOグループ corp.zozo.com
会社HP
https://www.aratana.jp/

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