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福岡の小さな醤油屋が起こした奇跡。独自の戦略でヒット連発の食品メーカーへ(前編)
株式会社久原本家グループ本社
GLOCAL MISSION Times 編集部
2019/11/15 (金) - 08:00

「茅乃舎(かやのや)だし」「キャベツのうまたれ」「椒房庵(しょぼうあん)のあごだし明太子」など、福岡から魅力的なヒット商品を発信し続けている「久原本家グループ」は、実は小さな醤油蔵をルーツに持つ創業126年の老舗企業。いかにして地方の醤油屋が、グローカルに展開する食品メーカーへと生まれ変わったのか。代表取締役社長の河邉哲司さんに、挑戦の歩みと成功の秘密をうかがった。

始まりは、村人に愛された小さな醤油蔵

「久原本家グループ」の年商は、現在260億円(2019年2月期)。従業員は1200名を超えた。今や福岡を代表する成長企業に数えられる同社だが、その本社は、福岡市の郊外にひろがる田園風景の真ん中にあった。

ここは、福岡県糟屋郡久山町。福岡市近郊にありながらも、まだまだ昔ながらの農村の雰囲気が色濃く残っている町だ。

そんな町がまだ「久原村」と呼ばれていた頃の初代村長が、創業者の河邉東介さんだった。そして村民たちの支えによって明治26年に開業されたのが、「久原醤油」という醤油蔵。それが「久原本家グループ」のルーツである。

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創業者・河邉東介さんと久原村の人々

現在の社長・河邉哲司さんはそんな老舗の4代目にあたる。しかし当初は、家業を継ぐつもりはなかったという。

「姉と私しかいませんでしたので、継がないといけないんでしょうけれども、私は『絶対継ぎたくない』と言っていたんです。どうしてかっていうと、醤油屋は斜陽産業じゃないですか。食事がどんどん和食から洋食に変わっていくなかで、醤油屋じゃあ今後生きていけないだろう、っていうのは誰でもわかる話ですよね。ですから、『なんで継がなきゃならんの?』と言いながらも、無理やり継がされたというのが実情だったんです」

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今回お話をうかがった久原本家グループ本社 代表取締役社長 河邉 哲司さん

「夢も希望もないまま継いだ」と振り返る河邉社長。だが、継いだからには、やっぱり売り上げを上げたい。「そのためにはどうすればいいのか?」。悩み、試行錯誤する日々が始まった。

時代の逆風。生き残りをかけた挑戦

河邉さんが入社した頃の醤油屋の営業は、地域の顧客を1軒1軒訪ねるスタイル、つまり宅配が基本だった。

「ネクタイなんかしません。前掛けをして、勝手口から入って、お客様が使ったぶんを補充する。配置薬の営業みたいな感じだったんです」

安定はしていたものの、新規開拓は難しかった。醤油にはどの家庭にも昔から使い慣れた「我が家の味」がある。そう簡単には変えてくれない。そこへ、時代の逆風が吹き始めた。食事の洋風化、核家族化、そして、スーパーマーケットの台頭だ。

「おばあちゃんに料理の権利があるときはまだよかったんですけれど、若い人たちに変わるわけじゃないですか。すると、まず洋風化になるわけなんです。それからスーパーができると、少しでも安いのを買いたいとなる。スーパーだと、安くて、しかも有名メーカーのものも買える。そうやってうちの商売もだんだん下火になってきたんですよね」

もう、醤油だけではどうしようない―。その危機感から思いついたのが、醤油を原料にした小袋調味料の製造だった。餃子や納豆のパックについているタレ、麺屋さんのラーメンやうどんについているスープを指す。さまざまな食品会社との取引が広がり、業績は好転。ニッチな市場に会社の新たな活路を見いだすことができたように思えた。

しかしある日、工場で働く女性のパートにずばりと言われた。

「これ下請けじゃないですか。今は成長しているって言えるけど、いつ切られるか、わからないじゃないですか」

河邉社長は言い返すことができなかった。

「その通りだと思っていましたから。私どもの歴史の中で、2代目の時にすごく華やかな時代があったんです。戦前に大陸に渡って醤油を売っていたんですよ。ところがその後、販路が断たれて苦しい時代に陥ったんです。そのときと同じようなことが、また起こるかもしれない。下請けはいつ切られるかわからないわけですから。それでやはり自分たちのブランドを作らなければならないと思ったんです」

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赤字を救った「直販」と「通販」

そこでドレッシングなどに挑戦したものの、なかなかうまくいかない。一度はあきらめかけたときに思いついたのが、明太子だった。明太子は誰もが知る福岡の名物。百貨店やお土産コーナーにいけばたくさんの商品が販売されていたが、ブランド力のある明太子屋は少ないと河邉社長は感じていた。

「あの明太子を買いに来た、といわれる商品が非常に少なかったんです。ですから私は、売場の後ろ側にあっても売れるような明太子を作りたかった。ちゃんと名物になるような、味もパッケージもちゃんとブランドを意識したものを作りたいと思って始めました。それが『椒房庵(しょぼうあん)』という明太子ブランドです」

「椒房庵」の明太子の最大の特徴は原料にあった。国産(北海道産)のスケトウダラが激減しているなか、国産の魚卵のみを使用。自社醸造の醤油とうまみ豊かな昆布だし、辛みだけでなく風味とうまみのバランスのとれた唐辛子で作った特製タレに付け込んだ。

しかしスタートして9年間は赤字続きだった。味がよい「椒房庵」の明太子は評判が高く、よく売れた。それでも、赤字を脱出できなかった。

「辞めるわけにはいかない。じゃあどうしたらこれを黒字にできるか?と考えたときに、2つ方法があることに気づいたんです」

1つは、自前で本店を作ることだった。「椒房庵」は原料にこだわっているぶん、原価が高い。そのうえ当時は福岡市の一等地にある百貨店「岩田屋」や空港で販売していたため、場所代が高かった。しかし本店を作り、定価で販売すれば、利益は出ると考えた。

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久原本家 総本店。『茅乃舎』『椒房庵』流通向けブランド『くばら』など、久原本家グループの商品が豊富に揃い、郊外にありながら連日多くのお客様で賑わう

そしてもう1つの策が、通信販売だった。

「なぜ通信販売を思いついたかというと、お客様から電話で注文が入るようになったんです。うちは福岡の岩田屋さんとか、空港店で売っていましたのでね。明太子は、お土産やギフト用なんですよ。だから日本中に広めてもらえるし、おいしいと思ってもらえたら、電話が入る。それがスタートだったんです。本店と通販。この2つによって、10年目に黒字化するようになった。これがすごく大きかったんですよね。ここで勉強できた。『椒房庵』で苦しんだ経験が、次の『茅乃舎』にすごく役立ったんです」

臆病ゆえの先読みが生み出した「茅乃舎」

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