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人材も産業も「雪だるま式」に。前例のない前例を創っていく
日南市市長 﨑田 恭平さん
鳥羽山 康一郎
2018/09/25 (火) - 08:00

「IT企業を誘致し、シャッター通りを奇跡的に再生させた」と、ここ数年メディアで盛んに採り上げられてきた宮崎県日南市。その原動力が市長である﨑田恭平氏だ。33歳で当選し、5年。次々と打ち出し成功を収めつつある地域再生策は、ある想いに貫かれている。それをひもとくとともに、次なる一手についての話を聞いた。
この連載ではさらにマーケティング専門官・田鹿倫基(ともき)氏、まちなみ再生コーディネーター・徳永煌季氏のインタビューも掲載していく。

現場に近いところからやらねば、と

日南市で生まれ、九州大学を卒業後宮崎県庁へ入庁。厚生労働省への出向中、日南市長選への出馬を決意する。
「現場が遠い、と思ったんです」と﨑田氏は当時を振り返る。年越し派遣村が社会問題となっていた頃だ。厚労省の前で若い人々が「国は何とかしろ」と声を上げていた。

「何とかしなければならないが、もっと早い段階で、地域に近いところで何かできなかったのかと自問しました。大きな制度改革よりも、具体的なことをすべきだ。そのためにはもっと現場に近いところに行かねばと」

県庁や霞ヶ関で仕事をすることの限界を感じた。そして職を辞し、市長選へ。選挙戦では「マーケティング」という考え方を打ち出した。ふだん馴染みのない横文字を、市民にどう理解してもらうか。およそ60回行った政策集会ではわかりやすく話すことに特化し、数多い日南の誇るべきものを磨き上げて産業や雇用につなげていく考えを説明した。

「お年寄りからは『一生懸命話す若い候補に賭けてみよう』という気持ちの票をいただきました」と、当選を果たす。しかし、就任後のプレッシャーは大きかった。市民や議会は様子見してくれていたが、成果が上がらなかったのでは強い反動が生じる。出馬前から考えていた民間人登用も、もし失敗していたら相当なダメージになっただろうと語る。

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勢いを止めず想いを語るインタビューは市政そのものという印象だ

うまくいくまで組ませる、バディ制度

﨑田氏は、マーケティング思考で市政改革するため民間からの人材登用を実施した。「行政」という信頼の看板に、民間の能力を掛け合わせる。そこで起きる化学反応は、従来の市政から飛び出したものになる。「バディ制度」と言われる方式だ。市の職員と民間からの人材がバディ(相棒)となる。

「うまくいく秘訣は、うまくいくまで組んでいくこと」と﨑田氏は笑う。「PDCAをうまく回し続けることが基本です。今のところ、人事異動以外で解消したバディはありません」
得意領域の違う同士が組む。﨑田氏が優秀だと認める市の職員も、産業活性を具体的にやったことはない。そこに現場感覚を備えた民間のバディが絡むことで、思いもよらぬ効果が生まれる。市長に就任した当時、全国でもこういった試みを行っている自治体は少なかった。成功体験が重なり、職員側からも新しいことにチャレンジする風潮ができた。「日本の前例は、日南が創る」という言葉も生まれた。

「公務員の文化を逆手に取ってるじゃないですか。前例がないからやりません、じゃなく」
前例主義に染まった公務員に対する、あざやかなアンチテーゼだ。このフレーズは、当時のマーケティング推進室が作成したプレゼンテーション資料に登場した。前例がなければ、前例をつくる。公務員である市の職員自らがつくったことで「嬉しかった」と﨑田氏は述懐する。

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優秀な人材同士が組むバディは能力や効果を何乗にもしてくれる

ブレストの中から生まれた「創客創人」

地方自治体が地域づくりのために行う施策・計画を盛り込んだものが、総合計画だ。さまざまな分野に言及し、事細かな計画を掲載するのが普通で、そのため分厚いものができあがる。しかし﨑田氏は「市民に読まれないものをつくってもしょうがない」と、シンプルでわかりやすいアプローチを取った。

「まず、日南らしさについてディスカッションを重ねました。『海や山がきれい』と答える人はよくいますが、日本全国そうなんですよ。日南というのは飫肥(おび)藩があって、小さいながらも300年近く生き抜いてきました。その強みを調べていくと、4つのポイントが見えてきたんです。『危機意識』『人の重用』『経済政策』『人材育成』──強大な薩摩藩の隣で緊張感を保ちつつ備えを固めていました。家臣の数も多く、彼らを養うため林業などに力を入れた。それらのオペレーションを担う人材も育ててきたわけです」

そのブレストの中から生まれた言葉が「創客創人」。お客さんに喜ばれる価値を創る、そしてその仕組みを創る人材を創る。元商工会議所のキーマンが発したという。分厚い計画書の代わりに、シンプルで心に刺さるスローガンとロゴマークができあがった。「人」という文字の色は何パターンも存在する。例えば青は日南の海、緑は飫肥杉の森、赤は燃える人だ。日南市内を歩くと、至るところで目にするようになった。

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「創客創人」のシンボルマーク。これはブルー(海)バージョン

マーケティング思考が問題点を浮き彫りに

﨑田氏の頭の中で民間人登用のビジョンが生まれたのは、市長選に出馬する1年前だった。厚労省出向時代、東京で開かれていた宮崎県出身の経済人やビジネスパーソンの勉強会で田鹿倫基氏と出逢った。
「能力も高いし、何よりキャラクターがよかったんですよ」という﨑田氏。「民間はこうやるんだ、と上からモノを言う人は多いが、そういう人を呼んでも公務員組織や地方企業の中ではうまくいきません。市長に当選したら会社を辞めて日南に来てくれと、説得しました」

田鹿氏は首を縦に振った。当選後移住し、マーケティング専門官として腕をふるい始める。「IT企業誘致で商店街を復活させた」功績で知られる田鹿氏。しかし、最初からIT企業に的を絞ったわけではない。
「私は農産物をどう売るかなどという戦略を期待していたんですが、田鹿に『人をいっぱい雇いたいのか、一人分の給料を上げたいのか』と問われました。マーケティング専門官として地域の分析をしながら試行錯誤を繰り返していたときです」

日南に仕事はないわけではない。しかし、決定的に足りない職種があった。それが「事務職」だ。﨑田氏たちは、「まずは人を増やす」を念頭に、事務職の需要を充たす戦略へ舵を取った。それがIT企業の誘致に結び付く。

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今でも東京へ頻繁におもむき、ネットワークを広げる

ブランド力を強めた「油津商店街」

﨑田市政の象徴としてたびたび採り上げられるのが、油津(あぶらつ)商店街の再生だ。寂れゆく町を象徴する典型的なシャッター通り。商店街再生にあたっては「街に昔のような活気を」という声をよく聞くが、「当時に戻そうと思って進めたわけではない」と﨑田氏は言う。閉店したところにお店を入れても、人口が減っているから客の取り合いになる。そこで「事務職」を意識した企業誘致を行い、東京・新宿区に本社を置くIT企業が日南オフィスを開いた。どうして日南の油津に?と誰もが思う。

「企業にとって『人が採れる』ことに尽きると思います。そして行政のサポートがしっかりしていること。運営や社員さんたちのサポートも含めてです。『日本一組みやすい自治体』のキャッチフレーズを掲げ、誘致後も会社を訪れて困っていることなどを訊いて回りました」

多くの自治体は企業誘致までは一生懸命やるけれど、いざ来てからは放置されることが多い。しかし日南市は違った。はじめにオフィスを構えたIT企業は、市の手厚いサポート──例えば商店街のイベントや地元の人々との交流も含め──もあって非常に高い満足度を示した。そして、他のIT企業にも「行くなら日南」という口コミを広げてくれた。

「戦友みたいなものですね」と﨑田氏はそれら口コミを広げてくれた人々を表する。一緒に悩んで、考えてきたことで培った信頼関係が生きた。「日南市の雇用を増やしてあげたいから、俺の友達の社長を口説いてやるよ、と言ってくれるんです」
働く場所が町の中心地だから、ランチを食べたりお酒を飲んだりの店もすぐそこにある。そこで消費が生まれ、お金が循環する。

「ただ、まだ完全に循環しているわけではありません。言ってみれば2合目か3合目というところでしょう」
メディアには「成功」「奇跡」と書かれることは多いが、﨑田氏自身は厳しい見方をしている。しかし、着実に道程は前に進んでいるようだ。

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レトロなアーケードの中に「青山っぽい」オフィスが出現する油津商店街

飫肥の城下町再生が日南再生の肝

日南市が挙げた4つのポイントは「飫肥」を共通のキーワードとして、その強みを物語っている。﨑田氏がIT企業誘致の次の一手として打ち立てた振興策は、飫肥だ。飫肥藩、飫肥城の城下町に今も残る歴史的なエリアは、「九州の小京都」とも呼ばれている。その町並みを再生・保存することで地域創生を図る。象徴として﨑田氏が挙げるのが「飯田(はんだ)医院」という大正年間に建てられた和洋折衷の大きな建物だ。

「持ち主がもう維持できないと、市に相談してきたんです。そういった建物は飫肥にたくさんある。維持するだけで多額の費用がかかります。それらがお金を生むようなシステムをつくれないかと、募集したのが『まちなみ再生コーディネーター』でした」

民間の持ち物である伝統的建造物を、民間主導で再生し活用しながら町全体を残していくポジションだ。国際的大手金融機関に勤務していた徳永煌季氏が選ばれた。会社化してビジネスとして成立させていくため、さらに「地域おこし協力隊」制度を活用して民間から人材を登用した。まずは武家屋敷をリノベーションして、質の高い宿泊施設として運営している。

「飫肥はとてもポテンシャルを持った地域です。点在する伝統建築を『面』として評価してもらう。その実現のために、金融機関出身である徳永の力は大きいです」
2018年3月には「DENKEN WEEK」と銘打って、伝統的建造物群を舞台としたアート・音楽・食・マルシェ・トークなどのコンテンツが盛り込まれたイベントを開催。県内外から12,000人の来場者を集めた。10月にも第2回の開催が予定されている。

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2018年3月のDENKEN WEEK。2018年秋は10/13〜21(https://denken-obi.jp/denken/
(©Kazuhiko Watanabe)

「雪だるま」方式で日南を変えていく

﨑田氏に、例えば5年後に日南市はどうなっているのか訊いてみた。
「市役所全体で取り組んでいるのが、人口ピラミッドをドラム缶型へ整えること。世代の凸凹が社会問題を生み出しています。サステナブルな社会のためには、人口が均一になっていくことが必要なんです」

IT企業誘致で20〜30代を増やしていくことで近未来の生産年齢人口を確保する。飫肥地区の再生でお金を生み出すシステムを確立し、こちらでも若い世代の雇用を実現する。こうやってピラミッドをドラム缶型に整える。市外からの移住者が日南にとどまる要素には、「働く環境と暮らしやすさ」を挙げる。職住近接、物価、自然の中でのアクティビティ、子育て環境など都会と比べるのがかわいそうと思われるくらい恵まれている。

今後は地場産業の強化、特に観光産業ではDMO設立も計画しているが、﨑田氏は言う。
「最終的に何のビジネスが成功するかは、行政が関与することではありません。僕は、キーパーソンを呼び寄せるためのコーディネーター的役割。その人たちに対して地域の資源をうまくコーディネートして、イノベーションを生み出す。周りには僕の分身的な人材も増えていく。そこに惹かれてさらに人材が集まってくる。僕はこれを『雪だるま式』と呼んでいます」

﨑田氏の最終目標は「人づくり」と語る。市長に当選した日から一貫して言い続けていることだ。
「自分の足で歩いて行く住民をつくること。どんな変化に対しても対応できるような、足腰の強い人材づくりができればと思っています」

南国・日南の「雪だるま」が、全国に波及し前例となっていくさまは、ある意味痛快だ。﨑田氏の若さを見守り応援してきた市民は、いつの間にか自分たちが日本の先頭にいるのを発見するかもしれない。

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「コーディネーター役に徹する」と﨑田氏。しかし雪だるまの中核であることは不変だ

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[vol.2]日南の奇跡、その裏側と未来図とは

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宮崎県日南市 市長 

﨑田 恭平(さきた きょうへい)さん

1979年日南市生まれ。九州大学工学部を卒業後、宮崎県庁へ入庁。厚生労働省へ1年間派遣後、退庁して2013年日南市長選挙に立候補。過去最年少となる33歳で市長就任。「日本一組みやすい自治体」「日本の前例は日南が創る」をキャッチフレーズに、民間人の登用、民間企業とのコラボレーションを進める。2017年、市長に再選。

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