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日南の奇跡、その裏側と未来図とは
日南市マーケティング専門官 田鹿 倫基さん
鳥羽山 康一郎
2018/09/27 (木) - 08:00

「日南の奇跡」とも評される、IT企業誘致による商店街の再生。その采配をふるったのが、﨑田恭平市長が民間から招聘したマーケティング専門官・田鹿倫基(たじか ともき)氏だ。マーケティングの発想を地方自治体に採り入れることで、地域はどう変わったのか。そしてどんなまちづくりを目指していくのかを語ってもらった。

本当に健全な自治体経営って何だろう

地方創生の波により、それぞれの町の賑わい方や潤い方といった部分にもスポットが当たるようになった。昔ながらの目抜き通りや商店街の人出、百貨店の数、交通量の多さなどをバロメーターとして判断されることが多い。しかし、﨑田恭平市長が掲げた日南市の再生策により「奇跡の復活を遂げた」と言われる日南市の油津商店街は、昼間あまり人が歩いていないのである。﨑田市政の目玉施策のひとつ「マーケティング専門官」に就任し、油津商店街に多くのIT企業を誘致した田鹿倫基氏は、「地方の経済は、人が歩いているかどうかで判断はできない」と語る。

「例えば神奈川県の箱根町。平日でもあれだけ賑やかで人が大勢いますが、実は人口減少率は神奈川県トップなんですよ。それに旅館やホテルの多くが東京と外国の資本です。観光客がお金を使っても、どんどん域外に流れて行ってしまう。自治体は入湯税と固定資産税で潤うから健全経営なのですが、事実として日本全体でもトップクラスに人口が減少しているんです」

反対に、目立たないが健全な自治体として長野県の南箕輪村の例を挙げる。
「伊那市の隣にあって、ベッドタウンとしての戦略をとりました。リソースの多くを子育て支援に注ぎ込んで、子育てのしやすい町に特化したんです。流入人口が増え、子どもも増えて人口ピラミッドがとてもきれいになりました」
自治体の魅力を対外的にアピールする手段として、PR動画がよくつくられる。しかし田鹿氏は「動画がバズったとしても、そことは違う次元で物事は動いている」と斬る。地方創生には、表面からは計り知れない要素が絡み合うのだ。
では日南市の場合は、どうなのだろうか。

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自治体経営は、町の人出だけでは計ることができないと田鹿氏

日南に足りない仕事は何だろう

日南市は、宮崎市から自動車で1時間強かかる位置にある。従って、宮崎市のベッドタウンにはなりにくい。この立地を考えると、日南に残ってでもやりたい仕事をつくることが、人口政策においても重要なポイントになる。
マーケティング専門官として着任した田鹿氏が着目したのは、職種別の有効求人倍率だった。深刻な人手不足をきたしていると言われるが、日南ではどんな仕事が不足しているのかを調べた。その結果「事務職」の求人が少ないことがわかった。

「倍率1を大きく下回って、0.2くらいだったんです。事務職を希望する人が10人いても、2人しか働けないということです。このデータから、事務職の求人をいちばん持っているIT企業誘致に的を絞りました。それによって流出が止まり、Uターンの増加にもつながることを期待したんです」

その戦略が「奇跡」につながった。シリコンバレーに本社を持つ企業も含め、14社のIT企業が日南にオフィスを構える(2018年8月現在)。
「彼らは事務職ですから、昼間は外に出ずオフィスで仕事をしています。だから商店街を歩くことはあまりありません」
静かな油津商店街であるが、実は相当な人数が仕事にいそしんでいるわけである。

マーケティングを中核にした施策は、「誰がどんなものを求めているか」を突き止めることにある。田鹿氏は、データを見ながら市民がどういう仕事を求めているかを把握し、そこから導き出した仮説が成功を収めたのである。
「油津に関しては、不動産市場と労働市場の需給バランスが取れてきたと思っています。とは言っても市場はドンドン変化していくので、常に対応し続けることが大事ですね」

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油津商店街には、ふとくつろぎの時間を過ごせるセンスのいい一角も目立つ

ノスタルジーに流されるだけの商店街再生

「シャッター通り」と呼ばれるようになってしまった商店街を何とかしたい──その想いがたぐり寄せるのは「昔の商店街の姿」であることが多い。昔はよかったとのノスタルジーが、再生のガイドとなる。
「商店街の再生は、盛り上がるテーマなんです。なぜかというと、世論が付いてくるから。青春時代を過ごした町を元に戻したいという声は大きくて、それに賛同する人は多いです。でも、昔のような商店街は再生できるわけがない。だって、その商店街に住んでいる人は『もういいかな』と思っているからです」
中と外の温度差が、シャッター商店街問題の根っこにある。

全国の商店街に共通することだが、店主は「昔のような賑わいに戻したい」という意識をそれほど強く持ってはいない。貯えたお金はあるから、例えばそろそろ夫婦で旅行に行くなどの自由な時間の使い方がしたいと思っている。しかしそんな時に「商店街のイベントで」と言われたら協力しなければならない。市役所も後ろに付いているし、商店街を盛り上げるパフォーマンスをしなければ……とプレッシャーを感じる。そんな「ありがた迷惑」なことも起こりがちだ。店を辞めてしまうとまた寂しくなったと言われそうだし、とりあえず開けている。しかし新しく投資をするわけでもないので店は昔のままで余計寂れている感が出てしまう。その結果、商店街の外の人たちは「僕たちは商店街を盛り上げようとこんなに応援しているのに、中の人はついてこない」と言い出す。
「自分のノスタルジーを押し付けてはいけないですよね」と田鹿氏は語る。

この状況を前にして田鹿氏たちが採った施策は、意表を突くものだった。「辞めやすい商店街」を一つの切り口にしたのである。

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「昔はよかった」のノスタルジーが商店街再生を妨げていると斬る

商店街のシャッターはこうして開ける

「無理して店を続けなくてもいい。辞めたらそこにIT企業がポンと入居する。そうすれば家賃収入が入ってくるわけです。もう心置きなく辞めて海外旅行にも出かけられます」
店をIT企業に貸せばいろいろいいことがある。この「辞めやすさ」が周知されるようになり、油津商店街は変わった。1社目の成功事例を見て、「じゃあうちも貸していいよ」というオーナーが増えた。IT企業の場合、社員は昼間静かに仕事をしているし、飲食店と違いて大きな設備投資も要らない。それに、家賃交渉なく相場通りの価格で借りてくれるのだ。本当に貸したいと思って貸してくれるようになった。

日南市の事例には、もちろん他の条件も絡んでくる。例えば、経済圏の人口。
「ここの5万人という経済圏人口は、飲食も含め全国的なチェーン店が進出を躊躇するギリギリのラインなんです。もし入ってくると利益を外に吸い上げられて一気に衰退してしまいますから」
全国的な資本が進出しにくい──これが日南の持っていた独自性のひとつだった。

シャッターが開かない要因を逆のやり方で解消して意識を変え、中と外の温度差を克服した。そして、経済圏の少ない人口がかえって強みに働いた。これはやはり「奇跡」と呼んでも差し支えないのではないだろうか。

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閉めている店の向こうは誘致第一号のIT企業オフィス。この風景がどう変わっていくか興味深い

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商店街にはモダンなIT企業のオフィスやゲストハウスなどが目立つ

移住は、産業政策の一環だ

IT企業が何社も日南にやって来た。当然ながらそれに伴い、社員も引っ越ししてきた。移住は人生における大きなイベントの一つであるが、日南の住環境がよいことも大きくプラスに働いた。
「自分にも子どもがいますが、日南の子育て環境は最高だと思っています。東京の人たちは何でもうちょっと視野を広く持たないんでしょうね。『保育園落ちた……』と言っていた人たちもいますが、そんなの東京だけだよと。『アメリカ人は自国が世界で一番と思ってるから海外旅行に行かない』といった話を聞くことがありますが、東京の人たちも同じですね。東京が日本だと思ってる(笑)」
認可保育園に申し込んで不承諾だった場合、その通知を持ってきたら日南市の認可保育園に必ず入園できますという移住イベントを、田鹿氏と市役所の移住担当課で行った。これが好評で、3組ほど移住してきた。

多くの場合、「移住」は人口政策の文脈で語られる。地方に若い人がいないから、東京から移住させようと。
「それではコストパフォーマンスが合わない」と田鹿氏。「地方に若い人を呼ぶのなら、Uターンの方が確実に楽です。親も友達もいるわけですから。敢えてIターンや移住を進めるのは、産業政策の一環の意味があるからです。地域の経済や産業の構造を見たとき、こういうスキルを持っている人に来てもらうとさらにドライブがかかるなどを、ちゃんと見据えた上で候補者を口説きにいかなければいけないんです」
必要な人材を徹底議論して決め、ピンポイントで採る。これは、「移住ドラフト会議」にも通じる考え方だ。他にも、東京での飲み会を行うなど、移住者を呼び込むためのチャネルはいくつも持っている。
「移住政策で大切なのは移住人数ではなく、移住をきっかけに地域がこう変わったという指標を見せることです。Uターンとはきっちりと分けて取り組む必要があると思っています」

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日南の魅力を象徴するのが青い海と「鬼の洗濯板」が続く海岸線だ

町の成長とは選択肢を増やすこと

移住による人口政策以外に、若い人たちが地元に残る施策も重要な柱だ。しかし先日、田鹿氏はある出来事にショックを受けた。
「市役所に、地元の高校生がインターンシップに来てたんです。せっかくなのでその高校生に地元の各業界の代表が課題共有する会議に出席してもらったんです。各業界の課題は一貫して人手不足で、求人を出しても高校生を含む若者からの応募が来ない──といった事例共有会になっていました。会議が終わってからその高校生に卒業後はどうするか訊いてみたら、『仕事があれば日南にいたい』と言うんです。人手不足がいかに深刻かを2時間にわたって議論してたのに、それらの仕事は高校生にとって選択肢に入っていなかったんです。そして日南以外だったらどこに行きたい?と聞くと満面の笑顔で『福岡!』と答えるんですね。仕事があれば日南に、という答えは地元の大人に対する忖度で、本心は福岡なんですね(苦笑)。これは子供たちが悪いんじゃない。大人がその子供たちの気持ちにちゃんと気が付いて対策しないといけないんです」
卒業後、福岡に行きたいという高校生はとても多い。九州の中で、福岡の求心力は非常に強いのだ。

これに対するには、「町の選択肢を増やす」ことが求められる。好きなことができる場所を自由に選びたい──人間の根底にあるこの思いを満たすわけだ。
「東京や福岡の方が、仕事や娯楽の選択肢が多いと思われてるから集中しているんです。歴史を振り返っても人は選択肢が多い(と思われる)地域に移動していく。日南で人生を送るうえでの選択肢を増やし、世に認知させる。そのために、成功事例が必要なんです」
IT企業をはじめとする事務職の仕事、海や山などアウトドアでの遊び、子育てや教育環境の素晴らしさなど、日南をアピールするポイントは数多い。

「僕のいちばんの仕事は人口ピラミッドを整えることです。選択肢を増やし、選ばれる町にする。結果としてドラム缶型の人口構造に移行できます。それが社会の成長につながることは、歴史的にも正しいと思っています」
﨑田市政で二期目の腕をふるうが、本人は「もう日南がめちゃくちゃ好きになっているので、市民の方に『どっか行け』と言われない限りずっと携わっていきたい」と言う。人口ピラミッドのドラム缶化にあと何年かかるか──まだ一歩を踏み出したばかりで先は長いが、一歩一歩着実に歩んでいくのだろう。

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2016年には中小企業庁の「はばたく商店街 30選」にも選ばれた油津商店街

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[vol.1]人材も産業も「雪だるま式」に。前例のない前例を創っていく
[vol.3]「陸の孤島・日南」で感じる、極上のエキサイティング

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日南市マーケティング専門官 

田鹿 倫基(たじか ともき)さん

1984年生まれ。宮崎県高千穂町出身。宮崎大学卒業後、リクルートへ入社し東京へ。その後、中国にある日系広告代理店へ転職。28歳のとき日南市長に当選した﨑田恭平氏に誘われ、マーケティング専門官として日南に赴任し「宮崎のために働く」夢を実現した。

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