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独自のポジションから南部鉄器の価値を伝え、仕掛けていく
タヤマスタジオ 田山貴紘氏
水野 ひろ子
2018/11/28 (水) - 17:00

田山貴紘さんが代表を務めるタヤマスタジオ株式会社。それは、岩手を代表する伝統工芸「南部鉄器」の製造および販売を行う会社です。食品メーカーの営業マンとして、各地を飛び歩いた6年間にピリオドを打ち、2012年に岩手へ帰郷。南部鉄器職人としての技術をゼロから学ぶと同時に、自ら会社を立ち上げて新たなチャレンジをはじめた田山さんには、どんな思いがあるのでしょうか。

戻るつもりなく、首都圏へ進学

南部鉄器の産地で知られる岩手県盛岡市。盛岡における南部鉄器の歴史は、江戸時代の茶釜づくりからはじまりました。そして、時代とともに茶釜に注ぎ口とツルをつけた南部鉄瓶が生まれ、今も盛岡市内の鉄器工房には、江戸時代から続く貴重な技術と志が受け継がれています。

田山さんの父、田山和康さんはそんな盛岡市内の老舗「鈴木盛久工房」に45年間勤めた南部鉄器職人。南部鉄器伝統工芸士会会長として岩手の南部鉄器業界を担ってきた人です。2011年に退職した後は独立して自宅に「田山鉄瓶工房」を立ち上げ、自らの作品づくりに時間を注いでいます。

鉄器職人として勤めた父の背を見て育った田山さんですが、もともと、その仕事を継ぐことは全く考えていませんでした。生まれ育ったのは盛岡市と隣接する滝沢市。田園が広がるのどかな環境です。盛岡市内の高校卒業後は故郷を離れて埼玉大学工学部へ進学。

「自分が大学に進学した2001年当時は、伝統工芸業界もそんなに楽ではない状況でしたし、親もまだ勤め人でしたから、好きにすればいいんじゃないかと。自分自身も何をやりたいと明確なイメージはなかったけれど、単に田舎から離れたいという気持ちでした」。

田山さんの父が工房を立ち上げたのは数年前。暖簾を守っていく老舗とはやや事情も異なります。自身も大学進学段階で地元に戻るつもりは一切なく、親も継ぐことを期待していなかったのではと振り返ります。

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伝統を継ぐだけでなく、価値を届ける

大学院時代は、白衣姿で “薬効成分を見つける方法の研究”に時間を注ぎ、試験管のなかに実験結果を探し研究を重ねた2年間でした。その後、食品メーカーに就職。営業マンとして、東海や北関東など広いエリアを担当したため、月の半分はホテル暮らしだったとか。各地の販売店向けに情報提供やセールスアドバイスなどを行う多忙な仕事でしたが、着々と仕事のキャリアを重ねていった20代後半、盛岡に戻ってきた理由はどこにあるのでしょうか?

「10代、20代と流れに任せたまま大学に行き就職。社会人として必要なことは学んだのですが、やはり、自分が何をしたいのかと漠然ながら20代後半に向かって考えていたんですね。自分にしかできないことって何だろうって。ある程度会社をわかってくると定年までの流れも予測がつくわけで。やるなら自分で何かをしたい、楽しいことをしたいと思うようになりました」。

21世紀に入ると、大量消費の時代と打って変わって、ていねいな暮らしがライフスタイルのトレンドになり、田山さんも、当たり前に感じていた地元の「価値」や父が関わる南部鉄器のすばらしさに気づきはじめたといいます。

「とはいえ、伝統工芸は後継者不足で、父親はそのど真ん中にいました。地元に対して何か自分ができることはないだろうか、とぼんやり思っていました」と田山さん。

そんな中で起こった2011年の東日本大震災は、自分の人生を見つめ直す大きなきっかけとなりました。さらにさまざまな出来事が重なり、漠然と考えていた「自分にしかできないことは何か」の着地点が、自然に浮かび上がってきたのです。

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職人、をめざすのではない

「僕が持っているモノ、を棚卸ししてみた結果、導き出されたのが南部鉄器の世界でした。
中でも、今、鉄器業界に足りないのは販売の部分。つくったものをどうやって売るか。そこはあまりにも何もしていなかった。自分は鉄器づくりに関する具体的なノウハウはありませんでしたが、価値を伝えるために何をすべきか、その考え方やスキルは前職の営業経験で身についていました。たとえば、世の中の流れをつかむ視点、月締めで数字を管理する習慣、売るための販促資料を用意することなど……。とにかく、自分がやれることにチャレンジしてみようと思ったんです」。

2012年末、29歳でUターンした後は父親の工房で修業に入りました。一般的に「一人前の職人になるまで10年はかかる」と言われる世界。30歳を前にしたゼロからの修業に不安はなかったのでしょうか。

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柔らかなフォルムが美しい田山さんの南部鉄瓶

「もちろん10年、20年、30年かけることでさらに深化するとは思いますが、職人を育てるのに10年という時間は今の時代では長すぎる。実際に現場に入って学んだ結果から得たのは3年間あれば、ある程度商品として納品できる技術を身につけられるということです」と田山さんは話します。かつて、工房に弟子入りし、親方の技術を見て盗んで覚えた時代の尺度だけで考えず、自身で検証する――。それは大学時代の研究に向き合う姿勢と共通するスタンスだったのかもしれません。

会社設立は、進むための選択

そして、職人としての修業をスタートする一方、2013年11月に自身が代表を務めるタヤマスタジオ株式会社を設立します。このスピード感にも驚きですが、父の工房で修業をしながらあえて別会社をつくったのは、彼なりの考え方があったからでした。

「前述した通り、この世界に入るきっかけそのものが、他の人と少し違っています。南部鉄器の持つ価値やポテンシャルには惹かれましたが、自分の役割はつくるだけことではないと認識していましたから、事業を進める母体が必要でした」。

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仕上げの研磨作業を行う職人たち

新しい事業を進め、今を「変える」ことは結果として現状を否定することになり、時に親子の対立が生まれる可能性もあります。
「それによってだぶつく時間はロスになる。何かを興す場合、自分が責任をもって決定できる代表者でなければ物事は進まない」と田山さん。別会社の設立は、そう考えた結果でした。

「継ぐというより、自分の働くステージを自ら創る意識と覚悟がないとあまり良い方向には転ばないかも」と話す田山さん。何か新しいことにチャレンジしたいと考える人の選択肢としてとても参考になる考え方かもしれません。

現在、タヤマスタジオは南部鉄器の製造と共に新ブランドの開発や販路開拓、企画開発事業などを行う会社として徐々に足固めをしている段階で、田山さんの他、父の工房で職人が2名研修中、企画開発事業に4名が在籍しています。

自社での検証を、業界に生かしたい

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みぞれあられ文様が美しい南部鉄瓶「Kanakeno」

そして、2017年7月。タヤマスタジオに新しいブランドの南部鉄瓶「Kanakeno」が誕生しました。鉄器の「金気(かなけ)」を意味するブランド名は、金気をネガティブに捉えず手を入れながら使っていくことの価値、助詞の「の」の後にいろいろな事業が展開されていくことを示しています。

「鉄瓶って、重いし錆びることもあるし、そもそも何がいいのか?」と思っている人に対し、価値を伝えていく必要があると思っています。『Kanakeno』はその試みの第一弾となる商品で、一つひとつの商品にシリアルナンバーをつけてメンテナンスサービスを行っていきます。使っている間に万が一錆びたり着色がはげたりしたら、無料で2回保守修繕するサービスをつけて販売。鉄瓶の経年変化を受け入れて生活していく提案でもあり、今後の暮らし方にも通じる考え方があります」。

Uターンから5年。会社員時代と比べて仕事への考え方で変わったことをたずねたところ、返ってきた答えは次のようなものでした。
「感覚的に、今は生きている気がしています。前は業務をこなしていたけれど、今は人生って感じでしょうか」。

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大量生産可能な生型の鉄器と違って、鉄瓶は一つひとつの焼型づくり、文様押し、仕上げの研磨作業、着色作業まですべて職人の手によるものであり、行程は100を超すと言われます。価格を下げることなく、どう価値あるものを使い手に届けるかは大きな課題の一つです。

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「世界をマーケットと考えれば、その価値を共有できる顧客はきっといるはず。広くアピールするためにも、良いものをつくる職人だけではなく、自分のようなポジションが大事になってくると思います」と田山さん。多少の逆風は想定内。見据えるのは鉄器業界そのものを面白い波に乗せていくことであり、今自社で進めていることを事例にして、業界全体の販路拡大に役立てていきたいと話します。

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タヤマスタジオ株式会社 代表取締役

田山 貴紘さん

1983年生まれ。岩手県滝沢市出身。埼玉大学大学院卒業後、食品メーカーの営業担当として全国各地を歩く中、松下政経塾で塾頭を勤めた上甲晃氏が主宰する青年塾第13期生として学ぶ。2011年に発生した東日本大震災でのボランティア活動を契機に、地域への貢献を考えるようになり、2012年に帰郷。南部鉄器職人である父・田山和康氏のもとで修業を重ね、2013年にタヤマスタジオ(株)を設立。和康氏は現南部鉄器伝統工芸士会会長、祖父はユネスコ無形文化遺産/国の重要無形文化財第一号の早池峰神楽元長老。

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