観光「再生請負人」の新しい挑戦/地域の右腕として生きる
佐渡観光交流機構 清永治慶氏
月刊事業構想 編集部
2019/01/27 (日) - 08:00

1991年の来島者数123万人をピークに2016年度には50万人まで数字を下げてきた佐渡観光。その復活の切り札として佐渡版DMO・一般社団法人佐渡観光交流機構が今年4月に発足した。推進役として専務理事に就任したのは、島外から招かれた清永治慶氏だった。

脱・東京のやり方

「佐渡の資源を掘り起こし、地域にとっての価値を高める結果に対して約束します」――。同機構の経営方針は、清永氏が中心となって決めた。
当初は流行りの「コミット」という言葉が浮かんだという。だが、しばらく考えて止めた。「約束」という言葉に改めた。外部の人間が陥りがちな罠が見えたのだという。
「これまで、観光に限らず地方創生では、地域の人たちは都会から人を招いて、プロジェクトを委ねたりしてきました。都会の人に来てほしいから、都会の人の感覚に任せてみるというのは分かります。でも、その結果、“東京でのマーケティング”を提案されてきたのです。その地域で有効かどうか分からないまま、東京の考え方をそのまま持って来た。私はそこが、地方創生の大きな問題だと思っています」

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佐渡には金銀山を中心に、江戸から近代にかけての産業遺産が集積する(北沢浮遊選鉱場)

こうした考えもあって流行りの言葉ではなく、島の人がはっきりと理解できる言葉で固めた。新しい何かを持ってくるのではなく、観光資源を「掘り起こす」。そもそもここは、かつて日本を支えた金山を有する島。「掘り起こす」方がしっくり来る。
 
「島の人は、よく『何もない』と言います。でも、これまでスキー場などで観光産業に従事してきた私には『何でもある』ように見えます。雪山だけでなく島全体で考えられるのですから。2025年に70万人の来島、30年には島外の関係人口(佐渡への積極的接触層)を100万人にするのが目標です」大学卒業後、サントリーに入社して営業のいろはを叩き込まれた。特に、企画営業の部分の経験が大きかったという。6年勤務した同社を退社後、家業を含めたいくつかの仕事をこなし、2006年、36歳になる年に、運命的な
仕事にめぐり合ったという。スキー場の再生を担うファンドで、全国10カ所のスキー場の飲食や物販を担ったことを皮切りに、各地のスキー場の再生を手がけてきた。メディアにも「スキーリゾートの再生請負人」などと紹介されたことがある。

島外の人間だからこそ

専務理事として外部から招かれたのには理由があった。4月の発足当初、同機構の理事長を兼務していた三浦基裕・佐渡市長が、「実務を担う専務理事だけは外部の人材にしたい」とこだわったからだ。「自分は佐渡の出身だが、大学から社会人の間、40年間東京にいた。その中でも毎年、夏休みは佐渡で過ごしていた。その頃から常々思っていたのは、佐渡というのがいかに魅力的な場所かということ。外に出てみて分かったことが多かった」(三浦市長)。日刊スポーツの野球記者、社長を経て行政経験のない異色の経歴の市長として2016年に当選した三浦氏は、佐渡版DMOの設立を推進した。

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同機構がユニークなのは、もともとあった佐渡観光協会と佐渡地域観光交流ネットワークという二つの観光系組織を統合して生まれたという点だ。DMO設立にあたり観光協会との関係をどうするかについては、各地域が向き合う課題の一つだ。統合を考慮した結果、既得権益の壁を突破できずに併存という選択をする地域も多い。
 
「一緒にやらないと意味がない。というよりも、観光業界だけでなく、島全体でやらないといけないんですよ。今の機構の理事長は商工会の方ですし、理事には漁協の方にも入ってもらっている。佐渡に関しては産業を成長させることが観光資源へとつながると考えているので、あらゆる人に関わって欲しいと思っています」(三浦市長)
 
オール佐渡の体制を固めた上で、事務方のトップは外部の人間にこだわった。何人かの候補の中から清永氏を選んだのは「結局はピンと来たということ。ステップワークが良さそうで、動いてくれるという直感があった」ことが理由で、「自分が(地元との)ショックアブソーバーになるから、存分にやってくれと伝えている」という。

家業よりも志に徹する

同機構が専務理事を探しているとの情報が清永氏に入ったのは今年4月のこと。「スキーリゾートなどを手掛けてきた自分にとって、島全体が対象というのはとても魅力的だった一方、これは地域全体が応援してくれないとできないと思いました。市長の方針もあって佐渡はその応援体制がありました。それに、金山を中心とした江戸・明治の遺産や寺社仏閣など“古い日本のすべて”があるような気がしました。資源があるのにうまくいっていない。だったら、やれると思いました」。確信を持ち、5月末に新天地入りした。

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市長同様に、“島全体で取り組む”ことにこだわる背景には、一つのエピソードがある。サントリー退社後に入社したのは、創業者である父が経営する企業だった。地元の鹿児島を中心にスーパーマーケット7店舗、飲食店5店の経営を、父の右腕として担った。その間の年商は右肩上がりで拡大した。
だが、父との決別の時が訪れた。 「ある時、父と方針の相違でぶつかってしまった。一から創業して成長させた父は、『自分の会社』と言い放ちました。創業者のプライドがそこにあることは理解しています。それでも私は、会社は父のものでも一族のものでもない、『みんなのもの』でなくてはならないと思っていました。だから、家業を継がないと決めたんです」

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その後に取り組んできたのは、地域全体のためになること。「外部の人間として自分が入ることで、その地域の中でも違う文化を持つ人たちを融合させることができます。それぞれの組織からヒーローが出るようにしたいんです。できれば、みんなにヒーローになってもらいたい」という。どういう人がヒーローなのか。「自信と誇りを持っている人です。観光をきっかけに佐渡がメジャーになって、佐渡に暮らし、働いていることが誇りになるようにしたいと思っています」。就任以来、島内を文字通り歩き回った。すり減った靴底。その分だけ、佐渡のポテンシャルを感じた。
 
「実はこの8月に父が会社をたたんだので、今は継ぐ家業もありません。だから、自分が本当にやりたいことをやり続けられるんですよ」
これから島全体の右腕として、佐渡からヒーローを生み出していく。

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