大手鉄鋼会社のマネージャー職から一転、北九州でコンサルタントとして独立。3度の転身ごとに自己変革を遂げるソーシャル・アントレプレナー
株式会社アットグリーン 飯塚誠氏
SELFTURN ONLINE編集部
2017/03/22 (水) - 08:00

大手鉄鋼会社の環境エンジニアリング新規事業部門のマネージャー職から一転、福岡県・北九州市でコンサルタントとして独立した飯塚誠さん。環境首都と呼ばれる北九州市をフィールドに選んで10年間に3度の転身。現在、株式会社アットグリーンの取締役兼パートナーとして多忙な日々を過ごしています。環境×福祉×人材の分野で、常に新たなソリューションを目指す飯塚さんのマインドの根底にあるのは、学生時代からのソーシャル・アントレプレナー精神。自身の転機や、地方での働き方、可能性などを聞きました。

北九州に来て10年。環境エネルギービジネスのイノベーターとして

北九州市で環境エネルギー関連のコンサルティングを行っている株式会社アットグリーン。私は現在、この会社の取締役兼経営パートナーとして、3年間ほど実質上の経営責任を持って取り組んでいます。会社のオーナーは、筑紫野市にグリーンプロップ社。もともと、産業廃棄物を扱う親会社の30周年を機に変革を遂げたいという会社オーナーの思いに共鳴し、パートナーとして現職に就きました。

大手鉄鋼メーカーでの安住よりも選んだ、ソーシャル・アントレプレナーの道

そもそも生まれも育ちも東京は足立区。親戚も含めて、九州に住み着いたのは私だけです。幼少期に明治生まれの祖父から「社会の役にたて」と言われて育ち、高校時代に北極の氷が溶ける映像を見たことから単純に地球の未来への危機感をもったことから、学生時代には環境NGOに所属。さらにアメリカ短期留学時代に、ソーシャル・アントレプレナー(社会企業家)たちと出会ったことからも大きな影響を受けました。

就職するにあたっても、NGOに就職するか、起業家になるか迷いました。そこで、起業するならまず企業を経験しておこうと考え、環境エネルギー分野で新しい事業を起こす商社がないかと探しました。そんなとき、新日本製鐵(現・新日鐵住金)のエンジニアリング部門で、環境プラントを作る新規事業部隊があることを知り、「ここなら」と思い3年間だけでも働いてみたいと自ら目標を設定し、1998年に就職したのです。

入社後最初に配属されたのが、北九州のエンジアリング部隊。そこに2年間ほどいたのですが、当時から北九州市は公害克服の技術と経験を生かし、「世界の環境首都」を目指したまちづくりを行っていました。「環境博覧祭」なども開催され、環境に対して意識が高かったことから、起業する際は東京でなく北九州かなと、当時から漠然と意識していましたね。

その後、東京の本社に戻ったところ、自動車リサイクルや土壌汚染対策など、ありとあらゆる新規事業のチャンスに恵まれ、3年と思っていたところ結局9年いました。最後の2年間は、CDM(クリーン開発メカニズム)という、日本の技術と資金で二酸化炭素を減らす世界的プロジェクトに携わり、気づくとマネージャーという立場に。このままだと一生このまま安住してしまうと思い、35歳までに起業という目標のために、34歳での辞職を決意しました。

世界でも最先端の環境事業に携わることができて不満はまったくなかったのですが、ソーシャル・アントレプレナーという立ち位置で環境ビジネスに取り組みたいという意志が、自分の中に強くあったのでしょう。さらに、若いイノベーターをローカルで育てる人材育成にも関わりたいという思いから、北九州で個人事業主へと転身したのです。

北九州へのIターン後、自身の人生も転換。地域に根ざす意識へと変革

いざ北九州に行くといっても、当時は現在と比較して1割程しかネットワークがなかったので、まずいろんな方に会いましたね。その中で九州経済産業局のキーマンに会う機会があり、こういうことをやりたいと言ったところ「そんなので食えるわけがない。でもお前みたいな奴が必要だ」と言ってもらえ、環境エネルギー関連の産官学連携コーディネーターになることができました。当時にして会員数は、九州一円に500名ほど。大学教授や経営者などに人脈を広げることができるとあって、最終的に北九州への転身にふんぎりました。

当時家族には、私がやっていることの殆どは理解してもらえてなかったと思うのですが、幸いにして妻は北九州近郊の出身。小さい子供二人の子育て大変な時期でもあり、実家の近くに帰るにはベストなタイミングでした。当時の私は残業で帰りも遅く海外ばかりに行っていましたから、妻は大変だったと思います。給料は実質半分くらいになりましたが、「実家があるのでとりあえずいいわ」と賛成してもらえました。ローカルのメリットとして、住宅費とか家計の経費が低くなって、まあまあやっていける範囲でしたね。

今思えば私はその頃まで、仕事面だけの軸で突っ走っていて、北九州に行った当初も、地域に入り込もうとはしてなかった。不思議なものでそんな時、人生においての転機が訪れたのです。実は現在中学2年(当時4歳)の娘が自閉症だということがわかり、そこからがまた私自身の意識の面での大きなイノベーションとなりました。娘にとってベストな環境、妻の想い、そして自分のキャリア…これらのバランスを総合的に考えるようになりましたね。
地域に根差し、溶け込むことを考え始めたのはその頃から。自分のスキルを地域に還元することが、自閉症児をもっている我が家では何よりも安全に繋がります。例えば地域のイベントなどで私が得意とする司会を務めるなど、コミュニティに貢献することで、お金では得られない関係を得られたことが、家族にとっての幸せに繋がりました。

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チャンスは運命的な出会いから。チェンジをいとわず前進

パブリックの中でニュートラルな立場で動ける人材はあまりいなかったためか、産官学コーディネーター時代は、あらゆる人から声をかけていただきました。一方、大学で環境ベンチャーやアントレプレナーシップの講義を受けもつなど、個人事業主としてのスタートは順調でした。けれども体調を崩したらお金がもらえないという状況は、娘の将来のこともあり、そろそろ限界かなと思ったとき、また運命的な出会いに恵まれました。 当時の北九州市の市長が、市内の中小企業の低炭素技術をアジアに技術移転する施設をつくり、そこからのオファーが舞い込んだのです。財団法人の職員として市役所に出向し、これまでのキャリアをベースに環境エネルギーのアジア低炭素プロジェクトのコーディネーションに3年間携わりました。

安定し、給料もあがり、メディアにも取り上げてもらい、長く続けられたらと思っていましたが、そこは補助金事業。補助金がなくなった時点でまたもいやおうなく転機に。そこで、環境産業と人材、福祉との連携ビジネスプランを携え、5人ほどの経営者にプレゼンしに行きました。その際の一人、「いいね」と言ってくれた社長との出会いから、現職に至ったという流れです。

ローカルで達成できるワークライフ“バランス”ならぬ“インテグレーション”

オーナー社長と出会って3年半。現在は、親会社の常務にもなり、新規事業と3つの会社をみるようになって大変忙しい日々を過ごしています。北九州というローカルでの10年を振り返ってみても、あのまま東京の大手企業で働き続けるより、私自身の人生において良かったとことだと感じます。よくワークライフバランスといわれますが、私はよく「ワークライフインテグレーション」と言っています。ワークとライフはバランスをとるような別々のものじゃなくて、ワークとライフが一緒にインテグレート(融合)していくことで、自分や家族の幸せを達成できるのではないか。ローカルの方が、その機会はたくさんあるような気がしてなりません。

実際、博多や北九州でもシェアオフィスがすごく盛り上がっていて、ITやWEB関連の個人事業主たちに多く出会います。どこに行っても仕事ができるという自負があるからか、彼らは家庭とか趣味とかと、実にいいバランスで仕事をしていますね。お互いが独立していて、集っているのが心地良いらしくて…これは新しい働き方だと思いますね。年収が1000万でなく700万でいいと自分で設定してしまえば、より幸せに近づくと思うし、そういう選択をする人達との出会いも楽しいものです。

スタートはゆっくりでいい。ヴィジョンと志を胸にローカルで能力を発揮するために

地方の経営者は様々な課題を抱えていて、そこにヴィジョンと志がある都市部の人材が飛び込んでくると、とても助かるという事例をいろいろと見てきました。オーナー企業のもと、現役バリバリで変革に対応できる人材として、経営に近いところで成長できるチャンスはかなりありますね。人材の流動が起こることで地方が活性化し、いい流れになっていくと思います。

私からのアドバイスがあるとしたら、東京の大企業と地方の中小企業の文化の違いが歴然としてあるということでしょうか。それは例えば、標準語とペルシャ語とが違うほどの感覚です。また、最初からいきなりトップギアで働いても、地方では役員以外はかなりスローペースですのでついてきてくれません。一年位はゆっくり周囲と溶け込みながら、ギアを徐々にあげていくことが大切です。

自分個人としては、いま大学院の博士課程にも在籍しておりまして、地域における障害者雇用の持続的なしくみや環境エネルギー産業と福祉の融合の研究を始めています。いま43歳なのであと2年でドクターをとって、次なるチャレンジを試みたい。高齢者や障害者などマイノリティがより幸せになるエコシステムを創造し、環境エネルギー産業における障害者雇用のメリットをもっと北九州から発信したいといった思いもより強くなっています。さらに、3年間経営サイドの経験を積み、障害者雇用を促進するためには社員を幸せにできる経営が大前提。そのような実践する経営者を増やしたいと考えていて、北九州に学生を受け入れるようなプラットフォームを作りたいですね。より柔軟かつアカデミックな展開で中小企業の経営者を支援し、さらなる発言権が得られるようになりたいと思っています。

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株式会社アットグリーン 取締役 パートナー

飯塚 誠さん

NGOでの経験とアメリカ留学体験を通じ、学生時代からソーシャルアントレプレナーをめざす。大学卒業後、大手鉄鋼会社にて環境エンジニアリング事業に従事。9年で環境分野の知見を得て、32才でマネージャー(管理職)に昇進。このままでは起業できなくなってしまうと、北九州において個人事業主コンサルタントして独立。九州地域環境・リサイクル産業交流プラザ(K-RIP)クラスターマネージャー、アジア低炭素化センター技術移転マネージャーを歴任。2013年4月より現職。現在、新規事業と3つの会社をマネジメントする多忙な日々。

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