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仕事やラジオを通じ、岡山や瀬戸内の島の魅力を発信
株式会社天満屋ホテルズアンドリゾーツ 福田 由美子さん
亀和田 俊明
2019/05/29 (水) - 08:00

「ハレの国」の愛称で知られる中国地方の岡山県は、子育て世代や若年層を中心に昨年は3,300人と自治体で最も多くの人が移住している県だ。東京で生まれ育った福田由美子(52歳)さんは、大好きな南の島での暮らしを経て、ご主人のふるさとである岡山に移住した。リゾートホテルの企画広報の仕事に就くとともに、ライフワークであるラジオを通じて岡山の魅力を発信している福田さんに岡山や島のこと、移住と転職について聞いた。

夫婦の島好きが高じ、結婚を機に八重山諸島へ移住

東京生まれ、東京育ちの福田さんは、短大卒業後に入社した広告代理店で約13年、営業職として従事していたが、結婚を機に東京を離れて日本最西端の与那国島に移住した。というのも、夫婦ともに大の島好きで、結婚前から共通の趣味である旅行で国内外の島を訪ねていた。ご主人は世界50ヵ国、福田さんも30ヵ国を訪れたという。そんな島好きのご夫婦が最初の移住地として選んだのが、与那国島。2004年春のことだった。

「島で暮らしてみたいという思いから東京を離れ、八重山諸島の与那国島に移りました。実は行ったことがなかったのですが、大変な島から結婚生活を始めようというのは、二人の一致した意見でした。人口も少なく孤島みたいな場所での生活は想像以上に大変でした。二人とも仕事が決まっていないなかで移住したのですが、妊娠が分かり、私は就職ができませんでした」

東京とは180度違う生活、そして、子どもが生まれたばかりで就職することもままならず、アルバイトでご主人を支えながら子育てをするなかで、以前から考えていた島のジャーナリストになるための第一歩として八重山諸島で唯一の出版社への転職を図ることになる。

「石垣島にある八重山諸島で唯一の出版社・南山舎へ履歴書を送ったところ、幸いにも採用されました。同時に夫も前職同様、旅行会社への就職が決まりました。他の島のことも勉強したかったですし、フリーペーパーとガイドブックの担当として、小さな会社でしたので取材から編集、営業までひとり何役も任されました」

石垣島に移住した時に子どもはまだ1歳半で、保育園に通っていたが、共働きしながらの子育てということもあり、保育園以外に託児所に預けることもあったり、費用がかさんで苦労したという。まだ幼い子どもを抱えての不規則な仕事は想像以上にハードであったようだ。

「子どもが宝という考えで、何より子どもを優先する地域(島)なので、見守ってくれたり、同じ年ごろの子どもたちを預かってくれるベビーシッターがいたことから、育児と仕事を両立できたのは、その人がいてくれたおかげですね。今でも交流が続いています。移住は近くで助けてくれる人がいるか、どれだけ助けてくれるかが大事なポイントですね」

そうした時期にライフワークともいえるラジオとの新しいつながりが生まれる。石垣島にコミュニティFMラジオ局が誕生し、出版社からの転職を果たす。小学生のころからラジオというメディアに憧れ、独身時代にはOL生活の傍らアナウンサースクールに通いつつ、鎌倉エフエム放送、ラジオ短波(現NIKKEIラジオ)などで番組パーソナリティを務めていた。当時、沖縄の島では宮古島にしかラジオ局はなかったので、宮古島への移住も考えていたほど、福田さんにはラジオへの熱い思いがあった。

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「出版社には2年弱務めていましたが、新しくラジオ局が開局するにあたり、社員の公募がありました。書くより話すことで伝えるほうが好きでしたので、ラジオ局で働きたいと応募し、採用されました」

大好きな島暮らしを経て夫のふるさと・岡山へ

石垣島での生活も4年目を迎え、子どもも間もなく小学校入学が迫るなか、石垣島から本土への移住を考え始める。移住地として生まれ育った東京という選択肢もあったものの、長男であるご主人の出身地で高齢になるご両親が住む岡山が浮上する。

「友人からは島はスローライフでいいね、と言われたり、のんびりしたイメージがあるかもしれませんが、出版社のときもラジオ局のときも点滴打ちながら取材していたこともありました。旅行会社に勤めていた夫もかなり忙しかったようで、みるみる痩せていきました。ある時、人間らしい生活ができていないことに気づいたことや沖縄の暮らししか経験がない娘はもう少し揉まれてほしい。その思いを夫に伝え、彼のふるさとである岡山へ移住を決めました」

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岡山への移住を決断してから引越しまでは、瞬く間だったとか。ひとまず倉敷にある夫の祖父母の家に仮住まいしながら二人で求職活動をし、1ヵ月後には新たな仕事と住まいと子どもの幼稚園を探した。

「現在暮らしている岡山の中心地は転勤族の人も多く、都内出身の私にも住みやすいところです。夫の勤務先が近くなり、娘も一人で過ごす時間が減ったので、引っ越して正解でした」

地方での生活のことをまったく知らずに想像をめぐらせて石垣島や岡山に移住したので、新生活に慣れるのは思っていたよりはるかに苦労したという。

「移住先の生活をイメージで決めつけないことも大切ですね。岡山がどんなところなのか、足を運んで目で見て確かめてから移住を決めるべきだったとも思います。岡山は天気がいいですし、食べ物がおいしくて感動しますね。本当に良いところだと思います」

岡山の「紹介」の文化が現在の仕事にもつながる

慣れない土地で40歳を過ぎてからの就職活動は仕事を探すのが大変だったという。履歴書を送った時点で不採用になってしまうことも少なくなかったが、新天地でもラジオに関わることを目指し、まず地元のコミュニティFMラジオ局「エフエムくらしき」の扉を叩き、そこで出会った社長に過去の経験などが認められ、いきなり週1回、3時間の生放送の情報番組のパーソナリティに抜擢された。

「就職探しで感じたのは、岡山は『紹介』の文化がとても強いということでした。結果を出すことで、仕事を紹介してもらいました。仕事での出会いを大切にしていれば、“きっかけ”が生まれ、やりたい仕事に就けると思います」

ラジオ局の社長からも常勤で務められる他の仕事を紹介されたり、ラジオ局で出会ったフリーアナウンサーの人たちとの交流のなかから話術を活かせる結婚式の司会業の仕事も紹介された。

「東京では、どうしても自分と似た人たちとの出会い、付き合いになってしまいがちですが、自分と真逆の人ばかりになってしまうのが地方です。岡山に来たときは知り合いが全くいませんでしたが、最初に仕事で会った人から次の人を紹介され、また紹介されるという良い連鎖から好循環が生まれましたね」

福田さんの場合、実際に仕事を通じて日系三世の総支配人の知遇を得たことにより、岡山市でホテルの業界の仕事に就くことになる。広告代理店時代やメディアでの経験を生かした企画広報の仕事やプロモーション全体の業務に携わって3年弱務め、総支配人が現在のホテルへ転職される際に今までの仕事ぶりや実績が認められ、請われて一緒に移ることに。現在は、プロモーション部のディレクターとして、広報やイベント、アクティビティの企画などを担当している。

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勤務する日本のエーゲ海とも呼ばれる瀬戸内市の牛窓という地域にある「ホテルリマーニ」は、ギリシャ料理を提供するなど地中海のリゾート感溢れるホテルだが、13ヵ国30人の外国人スタッフが働いている。そんな多国籍スタッフとも得意な語学力とフレンドリーナな人柄で上手にコミュニケーションが取れ、各部門との調整も円滑に図られている。

休日には家族でキャンプを楽しみ、県内の観光地は制覇

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