「持続可能な復興へ―住田町のいま」 ――住む人が本当に住みたい町、人を呼び込む町への転換

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「持続可能な復興へ―住田町のいま」 ――住む人が本当に住みたい町、人を呼び込む町への転換
住田町 元 町長 多田 欣一さん /一般社団法人SUMICA 代表理事・ KESEN ROCK FESTIVAL 実行委員長 村上 健也さん
GLOCAL MISSION Times 編集部
2017/11/27 (月) - 08:00
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岩手県気仙郡住田町。豊かな緑に囲まれた人口約6,000人の町があります。岩手の内陸と三陸沿岸を結ぶ宿場町としてかつて栄えていたこの町は、通り過ぎる町としてイメージが定着。若者の流出により、人口減少、少子高齢化が進みました。このような状況を打破し、往時の賑わいを取り戻すために、住民とU・Iターン者が一丸となって、町の魅力化、活性化を推進しています。
先導役として16年間住田町町長を務めた多田欣一さんと、住田町にUターンし、一般社団法人SUMICA代表理事で、KESEN ROCK FESTIVAL実行委員長を務める村上健也さんに、町に人を呼び込むための方策や変わりつつある住田町の現状について、お話を伺いました。

住田町が抱える課題とは?

――町を挙げて「ひと・まち・しごとの創出」に取り組まれていますが、「ひと」の重要性や位置付けはどのようなものですか?

多田欣一さん:
住田町は年々人口が減少していることが大きな課題です。年間死亡数およそ110人に対し、年間出生数は30人前後とマイナスが生じています。高校を卒業すると町を出ていく若者が殆どで、毎年50~60人います。大学を卒業して町に戻る者は10~15人程度です。
今から16年前は、過疎地の活性化は企業誘致だと、議会でもどこでも伝家の宝刀のように言われていました。しかし私は企業誘致が本当に正しいのか、疑問に思っていました。誘致した企業はやがて出ていきます。一番大事なのは地場に根ざした企業。地場企業であれば出ていくにも出ていけない。それが安定した企業誘致ではないかと考えていました。一方、住民が働ける場所をつくりたいと考え、企業誘致も行ってはきました。しかし、今度は誘致した企業で、働く人がいない。先日もコンビニへ行ったら、働く人手が足りないと聞きました。都会のようにアルバイトをする大学生が町にいればよいのですが、いないのです。
このままでは町の人口は減っていきます。これはこの町だけの問題ではありません。地方の人口はどんどん減っていく。陸前高田市や大船渡市を含めた地域全体で、人を一生懸命に集めたくても集まらない状態なのです。そんな中で、新たな企業誘致だという企業創生プランを出されたところで、「おいおい企業より、人が先だよ」と思いますね。一番大事なのは、「ひと」なのです。
2017年3月に策定した「住田町総合戦略」プロジェクトでも、人材が育つための施策を講じましたが、全体的に子どもを産んでくれる人口が少ない。適齢期を過ぎた男女はいるのですが、なかなか結婚をしないという状況もあります。毎年100人亡くなるとすれば、子どもは100人以上生まれて欲しいと願っています。やはり、若い人たちに来てもらえる町にならなければならないと考えています。

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住田町 元 町長 多田 欣一さん

――若者や女性が活躍できる職場は町にあるのでしょうか?

多田欣一さん:
働く場所はたくさんあります。募集はしているのですが、人が集まらない。働く絶対数が少ないのではないかと思います。また、選択肢が少ないのだと思います。企業誘致した町長が悪いと議会で言われたこともありますが、100の希望がある場合、その希望に沿った100の誘致は難しいのです。
この町の人口をいかに増やすかは、町長在職中にやり遂げられなかったことの一つだと思っています。

村上健也さん:
圧倒的に人が少ないというのは、それはそうだと思います。うちの会社もそうです。募集をかけてもなかなか人が集まらないというのはずっとある話で、どこに聞いても同じです。ただ、働き口がいろいろあるのとは違って、選ばなければあるという感じかと思います。

――面白い仕事が少ないということでしょうか?

村上健也さん:
少ないと思います。一般社団法人SUMICA(以下、SUMICA)を立ち上げた時も、若者をつなぎとめる受け皿として機能し、その先に雇用を考えていました。地方の場合、一般社団法人という形態での仕事は、お金が稼げると思われず、何をしているか分からないということがあります。SUMICAの活動を通じて、こういう形でも仕事になることを知ってもらえたように思います。

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一般社団法人SUMICA 代表理事・ KESEN ROCK FESTIVAL 実行委員長 村上 健也さん

――若者が戻る町になるには何が必要だと思われますか?

多田欣一さん:
住田の自然の中で生活ができるような、稼げる仕事があれば、町を出た若者たちは戻ってくると思います。この町の最大の資源は山です。山をどのように活かしていくか。先人が50年、60年もかけて育ててきてくれた森林が、役に立たない、お金にならないと捨てられています。伐採や作業で人が入らない。それをもっと人の手を加えて、健全な山づくりを進められればと思います。山村の山を守り、生活できる環境にしなければならない。この町でできる仕事をつくり出していかなければならないと考え、町を挙げて農業や林業の再生などに取り組んでいます。

2016年6月に完成した住民交流拠点施設「まち家世田米駅」

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――住民交流拠点施設「まち家世田米駅」を計画した背景はどのようなものですか?

多田欣一さん:
「まち家世田米駅」は世田米商店街内に位置します。商店街の活性化を目指し、施設を整備しました。岩手県には、「お昼と晩飯の時は住田に行くな。美味しいものがないから」と昔から言われる定説があります。しかし、そんなことはありません。住田にはいい所がたくさんあるのですが、素通りされてしまうことが課題でした。そこで、交流人口を増やすために、何らかの拠点をつくりたいと考えました。
もともと世田米地区は宿場町で昔は賑やかだったのですが、今では商店街で営業している店は幾つあるかという状態です。つい最近も、豆腐屋も文房具屋も無くなり、どんどん疲弊してきています。ここに何とか人を呼んで、回遊させるためのホットステーションを作らなければならないと準備を進めました。
役場内でこの話を提案したのは、今から9年前になります。まずは家主さんと話をするところからスタートしました。土地代は町が払い、建物はすべて町が保有する形です。役場が使用するのであれば簡単ですが、地域と十分にコミュニケーションを取るために、それだけで6〜7年の月日を費やしました。私の性格から言えば、決めたら一気にやってしまおうと思っていたのですが、強引に進めて、後から反発が出てはいけないという役場の職員の意見もあり、かれこれ9年かかりました。

――「まち家世田米駅」周辺の整備も進んでいるのでしょうか?

多田欣一さん:
「まち家世田米駅」は指定管理者制度を取り、SUMICAに管理・運営を委託しています。施設の周辺については役場の仕事になります。当初からの構想として様々に取り組んでいるのですが、なかなか前に進んでいません。
例えば、施設の後ろに蔵が4つあるのですが、あの蔵をギャラリーにしたり、みんなで集まって作業をするなど、人が常に集まれる「場」を蔵の中に作っていきたい。また、隣接する山を花の森にしたいと考えています。住田町は山ばかりですが、あの場所は杉の木だらけではなく、5~6ヘクタールでも四季折々の花を楽しめる森にしたらどうかと。そんな場所があることで、そこを回遊し、世田米商店街へ人が入ってくるのだと思います。
「まち家世田米駅」をはじめ13〜17軒ほどその周りには昔ながらの家があります。半世紀前の時代を残している住宅なのですが、通りに面する部分のみでも残して、昔の町並みを再現したいとも考えています。そうすれば、人が来るようになり、商売もできるようになる。そして、人が住むようになってきます。「まち家世田米駅」を核として、商店街や町が活性化することを期待しています。

移住者・定住者を増やすために必要なこと

――人が住むようになるとお話がありました。村上さんはUターンされていますが、移住者や定住者を増やすために必要なことは何だと思われますか?

村上健也さん:
この町に住む人たちが、移住者や定住者を受け入れようとする気持ちがもっと必要ではないかと思っています。どこかよそ者と思うような、受け入れに対してウエルカムという気持ちがまだ足りないように思います。
また、決定的に住居が不足しているということもあります。移住しようとしても、住む所がない。貸すのではなく、売るならいいという話もあり、そうなると一気にハードルが上がってしまいます。住居の問題は役場の仕事ですが、SUMICAの活動でできることがあればとも思っています。

「ロックフェスがつなぐ、若者が自信を持って戻れる町―岩手県住田町のいま」

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