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塩の楽しさを広く伝えたい。“好き”を仕事にした「ソルトコーディネーター」、青山志穂氏
(株)くらしさ 長谷川 浩史&梨紗
2018/11/27 (火) - 08:00

会社に属さず個人で働く場合や、起業を検討した際に「“好きなこと”をそのまま仕事にできたら…」そう考える人は多いかもしれません。“好き”を仕事にするにはどうしたらいいのでしょうか?「ソルトコーディネーター」として働く青山志穂さんは、“塩好き”が高じて今の仕事に辿り着きました。沖縄と東京を行き来しながら仕事をする、彼女の働き方にも注目しました。

「ソルトコーディネーター」とは?

「ソルトコーディネーター」という肩書きを持つ、青山志穂さん。仕事の柱は大きく3つあるといいます。自身が魅了された「塩」について広く伝えるために仲間を増やす、資格事業。国内外の塩をスモールパッケージで販売する、物販事業。塩の売り方や食べ方、製塩所の立て直しなどの助言を行う、コンサルティング事業。そのほかにも、塩に関するイベント・ワークショップの開催など、仕事内容は多岐にわたります。

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塩は私たちが生きていくために誰もが必要とするもので、実は20年前までは国の管理下にありました。1904年に始まった日露戦争の財源調達を目的に、1905年から専売制が施行。1997年に廃止されるまで自由に塩を造ったり、輸入したり、販売したりすることはできませんでした。その後、2002年に塩の製造・販売などが完全に自由化となり、現在では日本国内だけで約550ヵ所の製塩所があると青山さんは話します。

「いま私のところでは、国内外合わせて約110種類の塩を扱っていますが、その中から消費者が塩を選ぶのは困難だと思います。一方で小さいお塩やさんは、商品のデザインや営業活動もままならず、放っておいたらなくなってしまう塩があります。私はその両者を応援したいという想いで活動しています」

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偶然だった「塩」との出会い

食べることが好きで、かつ大学時代の留学で培った中国語を生かせる職場を探していた青山さん。大学卒業後は、中国に進出していた食品メーカーのカゴメに就職しました。5年間営業として働いた後、商品開発部に異動。赤字だったパスタソースのリニューアルとマーケティングに従事したそう。

「スペックを落とさずに原材料を見直して原価を抑えたり、売り方を改善したりして、黒字化に成功しました。役目を果たしたという達成感がありましたね」

7年半勤めたカゴメでは、社会人の基礎とものづくり、人前で何かを説明することを学んだという青山さんは、結婚を機に沖縄へ移住。ここで「塩」と出会うことになります。

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青山さんは沖縄で転職先を探していたのですが、オーバースペックという理由でなかなか仕事が見つからず諦めかけていたそうです。そんな矢先、「塩の専門店ができるらしい」という噂を聞きつけました。

「まずは話を聞きに行ったつもりが、社長と意気投合して翌日から来てという話になったんです(笑)。雪塩の会社がちょうど『まーすやー(塩屋)』の沖縄本島初出店をする時で、これから多店鋪展開するにあたっての本部スタッフに採用されました」

当時、塩業界全体を盛り上げていくことを目的に新規事業としてスタートした「まーすやー」事業。世界中の多種多様な塩を店鋪で販売するというものでしたが、それまでは雪塩の製造・販売のみを行ってきた会社だったので、社内にノウハウがありませんでした。

青山さんは店頭業務に加えて、仕入れ体制の組み立て、商品ラインナップの整理、商品情報の管理、社内資格制度の確立、採用・研修など、本部業務の組み立てをすべて経験したと振り返ります。

「LIKE」から「LOVE」に

ありとあらゆる角度から「塩」と向き合った青山さん。4年ほど経った頃、「まーすやー」事業から雪塩事業へ異動を通達されます。それまで世界中の塩を平等に扱ってきた立場から、今度は雪塩だけを扱うことに違和感を覚え、退職することに。

「この時、既に『まーすやー』は大きくなるのが見えていて、ここでも自分の役目は終わったんだな…と感じました。ただ、この頃には頭の中はもう塩にどっぷり浸かっていて、『次は塩で何をしようかな?』という感覚でしたね」

それまであくまで仕事の一環として「塩」に携わっていた青山さんでしたが、あるキッカケで「塩」への見方が変わったと話します。

「アル・ケッチァーノ(※)の奥田シェフと出会って、塩だけだと出口が見えなかったのが、食材との組み合わせをすることで先が見通せるようになったんです。そこで私の塩に対する意識が一気に『LIKE』から『LOVE』に変わりましたね。野菜にいろんな塩をかけて食べ比べたりと、私自身の食生活も変わりましたし、塩でこんなにも食材の味が変わるんだと驚きました」

(※)アル・ケッチァーノ:庄内平野が育む良質な食材と日本海の新鮮な魚介類を用いた、イタリアンレストラン。山形県鶴岡市にあり、地産地消のモデルケースといわれている

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「塩」で独立

会社を辞めて青山さんがまず行ったのが、それまでに蓄積してきた塩に関する知識をまとめることでした。そして、情報が整理されたところで、沖縄県内でそれを伝えるワークショップを実施。

「みなさん楽しそうに参加してくださって、手応えがありました。自分だけでなくたくさん伝道師を作ることで、塩に関する情報が伝播するのが早いなと思いました」

そこで青山さんは、2012年に「日本ソルトコーディネーター協会」を立ち上げ、資格事業をスタートさせたのです。翌13年には、知り合い経由で大手百貨店から100種類の塩を展開する売り場作りの相談が舞い込み、物販事業を開始することに。東京に行く機会も増え、東京でも資格のための講座を始めるなど、仕事の拠点も広がりました。

「沖縄と東京の2重生活は私にとっては理想的です。東京で色々な人に会ってインプットして、疲れた頃に沖縄に戻って癒される。沖縄はご存じの通り製塩所が多いので、すぐに製塩所に足を運べるところもいいんですよ」

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案ずるより産むが易し

これまで「20種類くらいの塩を楽しめる人を増やすこと」を目的に活動してきたという青山さんですが、今後は「2〜3種類の塩を楽しむ人をどのように増やしていくか」を課題に進めていくと語ります。

「それから今『チームさ(砂糖)・し(塩)・す(酢)・せ(醤油)・そ(味噌)』を作って、仲間と何かをやっていきたいと目論み中です」(※「す」に詳しい人募集中!)

そんな青山さんに、最後に“好き”を仕事にする秘訣を伺いました。

「人にたくさん会うことではないでしょうか。私は人に恵まれているんです。人のご厚意だけで生きているといっても過言ではないかもしれません(笑)」

これまでの仕事はすべて知り合い経由で決まっていると話す青山さん。自らを「目の前にあることに対して今はこのタイミングなんだなと思って決断するタイプ」と称し、「今の自分の能力でできる/できないを判断しない方がいい。今できないことでも、できる方法を考えればいいだけ」とアドバイスされています。

「好きなことを仕事にしている人全員が成功できるわけではないです。でも、好きなことだから辛いことがあっても頑張れるし、失敗しても命まではとられません。『案ずるより産むが易し』でまずはやってみてください。少なくとも何かは変わりますから」

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青山 志穂さん

一般社団法人日本ソルトコーディネーター協会 代表理事 株式会社パラダイスプラン 執行役員(非常勤) 中小企業庁ミラサポ認定専門家 沖縄県商工会連合会認定エキスパート

東京都中央区出身。沖縄県在住10年目。 料理好きの母の下、幼少の頃から様々な国の料理を食べて育ち、食べるの大好き!な食いしん坊に育つ。大学時代に上海の復旦大学に交換留学で渡り、中華料理を存分に堪能しながら中国語を学ぶ。
慶應義塾大学総合政策学部を卒業後、カゴメ株式会社に入社。営業や、トマト製品およびパスタソースのマーケティング・商品開発に携わる。2007年に退社し、沖縄に移住。
2008年に沖縄の塩の専門店「塩屋」入社。数年をかけて日本初のソルトソムリエ制度(社内資格制度)を立ち上げる。教本づくりや社内資格制度の運営体制の設立のほか、スタッフトレーニングや人材採用・育成、商品開発、広告宣伝の責任者を務める。
2012年に、一般社団法人日本ソルトコーディネーター協会を設立し、独立。
現在は、全国各地を飛び回りながら、講演活動やメディア出演など、塩の魅力を広く伝えている。代表著作に「日本と世界の塩の図鑑」(あさ出版)、「塩図鑑」(東京書籍)、「琉球塩手帖」(ボーダーインク)

【座右の銘】
背中の傷は武士の恥、倒れる時は前のめり

【原動力】
塩の楽しみ方はもちろん、魅力あふれる生産者さんたちのことをもっと多くの人に知ってほしいという気持ちが私のガソリンとなり、あちこち動き回っています。

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