「岩手Uターンで手掛ける持続可能な復興―住田町のいま」 -人と人をつなぎ、町の変化を支えるNPO法人wiz理事 植田敦代さん-
住田町 世田米地区 地域おこし協力隊/ NPO法人wiz 理事/一般社団法人SUMICA 副代表 植田 敦代さん
BizReach Regional
2017/12/04 (月) - 08:00

リクルートエージェント(現リクルートキャリア)の法人営業として顧客の新規開拓を担当し、終電まで仕事をする日々を送っていた植田敦代さんは、東日本大震災をきっかけに岩手県にUターンしました。住田町に移住し、仕事を通じて地域の人々と積極的に交流を深め、2014年にUターン仲間とNPO法人wizを設立。2015年には住田町の住民とともに一般社団法人SUMICAを設立し、町を盛り上げる活動を様々に行っています。小学校高学年の頃には岩手を出ることを決意したという植田さんに、現在に至るまでの経緯と住田での取り組み、今後のビジョンを伺いました。

岩手から東京の大学へ。アルバイト経験が人を好きだと思う原点に

高校まで岩手県花巻市で過ごした私は、隣近所の噂が日常茶飯事に聞こえてくるような密な地域社会で育ちました。小学校高学年の頃には、一生ここで終わるのではなく、いずれ岩手を出たいと思うようになりました。大学は日本の中心である東京に行きたいと決意し、迷いなく東京の大学を志望して中央大学へ進学しました。

入学後は欠かさず大学に通い、アルバイトやサークル活動にも励んだ4年間でした。この時、馴染みの居酒屋で3年半アルバイトを経験したことが今でも役立っています。18、19歳の時に、26、27歳ぐらいの店長や社員の方々と関わったことで、視野が広がりました。人に対しての接し方なども学ばせてもらったと思います。
就職活動にあたって、自身を振り返り、自分の強みを分析した時に、人が好きだということに気づきました。アルバイトを通じて、お店に来られたお客様に楽しんで帰って頂きたいと思うとともに、いろいろなお客様を見たり、話を聞くのが楽しいと思うようになっていたのです。居酒屋でのアルバイトは、人が好きだと思う原点となった経験だと思います。
現在も、人と人の関係性や立ち位置を把握し、どう動けばよいか、キーパーソンが誰かと人間観察をすることがあり、当時の経験が生きています。

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大学卒業後は、女性がバリバリ働けるリクルートエージェントへ

両親、姉、弟、父方の祖父母に至るまで、代々医者の家系です。そんな家に生まれましたが、大学は理系ではなく文系に進みました。文系の最高峰は弁護士であると両親の理解を得て法学部で学びましたが、弁護士は目指しませんでした。
医者を目指さなかった理由は、数学が苦手だったこともありますが、幼い時から医療関係者に囲まれた生活だったため、毎朝決まった時間にスーツを着て会社に行くというサラリーマン生活を知らずに生きていくのは勿体ないと思ったからです。また、鉄鋼会社を経営していた母方の祖父から、取引先などいろいろな仕事の話を聞くのが面白いと思っていたこともあります。
母は結婚して出産をしても医者として働く凄い人なんです。就職先は、母のようにバリバリ働ける環境で、医者や弁護士にならなくても稼げることを家族に見せたいと考え、様々な選択肢の中から、女性が活躍しているリクルートエージェントに決めました。

営業経験を通じて、短時間で人の懐に入り込み、巻き込む力を養う

2008年4月、人材斡旋サービスの営業職として入社しました。9月にリーマンショックが起こり、企業の求人が大きく低下した時期に直面する中、主に法人営業の新規開拓を担当しました。営業では、訪問先のアポイントメントが1時間だとしたら、その1時間で相手の懐に入り、求人をもらえるようにしなければなりません。短時間で相手の懐に入り込む力や、プロジェクトの目標達成に向けてチームを巻き込み、一緒に取り組む力は、このリクルートでの経験で身につけられたと思います。
リーマンショックの際には、自分が営業の数値目標を達成することで、社内のアシスタントや派遣の方が働き続けられることを知りました。その時を境に、働けることは幸せなことであり、目標を定めたら達成に向けて突き進むしかないと考えるようになりました。
また、リクルートはどのグループも仲が良いのですが、合同納会が多くありました。他部署の先輩方から話を聞く機会を通じて、「斜めの人間関係」が大事であることも学ばせて頂きました。

東日本大震災をきっかけに岩手県にUターン

2011年の東日本大震災をきっかけに、岩手県へのUターンを決意しました。当時は付きあっていた主人の実家が被災し、主人がUターンをしたこと。私の高校時代の友人が被災し、亡くなったことの影響が大きくあります。
岩手に戻ってからはいわて復興応援隊に着任し、住田町観光協会へ配属されたことが現在につながっています。住田町に住んで5年目を迎えましたが、現在は3つの活動を行っています。1つ目は、2016年4月から3年の任期で着任した住田町の地域おこし協力隊です。2つ目は、震災後にUターン仲間と2014年4月に立ち上げたNPO法人wiz(以下、wiz)で、理事を務めています。3つ目は、2015年7月に住田町の住民の人たちと一緒に設立した一般社団法人SUMICA(以下、SUMICA)があり、ここでは副代表を務めています。

住む人が誇りに思える町に。住む人と外の人をつなぐ活動を企画

地域おこし協力隊、SUMICAにおける私のミッションは、「住田町が元気になること。住んでいる人が住田町を誇りに思えるようにする」ことです。wizは岩手という単位で活動を行っているため、「若手の力で岩手を盛り上げること。岩手県の若者が岩手を誇りに思って帰って来てくれること」がミッションだと思っています。

地域おこし協力隊では、住民交流拠点施設「まち家 世田米駅」を拠点とし、住田町の女性が元気になり、子どもたちが生き生きしている町になることを目指し、活動をしています。
例えば、一日に100人ぐらいの子どもたちが集まるイベントを企画し、年3回ほど実施しています。また、若い人たちが自分の町を誇りに思えるように、全国で活躍している地域おこし協力隊員や、地域の行政側の担当者と企業の社長をお招きし、勉強会や講演会を開催。気仙沼市や釜石市、遠野市の人たちにも広報し、参加を呼びかけています。そして、その後に交流会も開催し、参加者同士の出会いの場を設けるという活動を展開しています。

子どものイベントは、子どもの年齢に応じた企画を考えています。遊びのイベントは、幼児から小学生くらいまでです。中学生から高校生には、これからキャリアを考える上で役立つようなイベントを企画しました。この地域は職業の選択肢がなく、そもそもいろんな情報を知る機会が少ないと考えたことが背景にあります。そこで、SUMICAの活動と連動し、ロックミュージシャンをお招きしました。今は有名なミュージシャンとして地位を確立されていますが、実は田舎出身。そこから大学を出て、なぜロックを目指したかを中学生に話をしてもらい、夜は高校生や大人向けにライブを行っていただきました。
今年の冬には、奥州市出身の落語家さんにお越しいただきました。高校の課外授業で聞いた落語がこんなに人を楽しませるのかと思い、東京に出て落語家に。高校生に向けてキャリア教育も実践されている方です。
このように、住田の子ども達に多様な選択肢があることを知ってもらう機会をつくっています。卒業後は進学・就職で県外に出ていくかもしれませんが、県外での経験を持って町に帰ってくることに繋がればいいと思っています。

また、地域おこし協力隊に着任する前に、総務省の集落支援員として活動したことがあります。住田町の商店街近辺の120軒ぐらいを対象に、地域の課題などを毎日ヒアリングしたのですが、1軒のヒアリングで3時間ほど話を聞いていました。時間をかけて話を聞いたことで、最終的には私のようなよそ者にも、心を開いてくれたように思います。短時間で帰っていたら、「この町にいいとこなんかない」と言う回答で、終わってしまっていたと思います。
日中に回ったため、仕事をしていない高齢者の方が対象だったのですが、多くの意見がみんな住田が好きだということです。住みやすさという意味では、買い物をするところも遊ぶところもないと不満を言うのですが、スポーツをやっても楽しいし、地元の友達もいるので楽しいと言われるのです。

この時に、本当はこの町が好きなのに、すぐに好きと言えないのは良くないと思いました。自分たちの町に誇りを持ってもらうにはどうすればよいか考えた時、私のような外の人間が「それって凄いことですよ」と伝えることが大切ではないか。住民の方の承認欲求を満たすようなことをすれば、10人に話をしたうちの1?2人は、自信を持ってそれを子どもに話すかもしれない。或いは、東京に住む友達に話をしてUターンにつながるかもしれないと思いました。
それ以来、講演会では、必ず講師に住田町の紹介や開催趣旨を伝え、参加者がどんな人たちであるかも伝えるようにしています。そして、参加者が自信を持てるような話をしてもらいたいと依頼しています。このような活動を続けることで、全員でなくとも一部の人の思いを変えられるきっかけになればと思っています。

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町に人を呼び込み、住民同士の交流を深めるために

住民交流拠点施設「まち家 世田米駅」は2016年6月に完成しました。町から指定管理を受け、SUMICAが管理・運営を行っています。世田米地区の公民館を兼ね備えている場所で、住民同士の交流がより生まれる拠点として機能しています。
勉強会や様々なイベント開催のほか、Free wi-fiが使えて仕事ができるスペースなども設置されています。併設レストランでは地元の食材を使った料理教室も2ヶ月に1回開催しています。毎回定員がすぐに埋まるほど人気です。料理教室のように、住田にこれまでなかったものを企画しています。

町からは、交流人口の数や売上などの目標が定められています。1年経過していますが、目標は大幅に達成しています。しかし、指定管理を受けなくなった時を見据え、法人として人を雇用する環境をつくるために、独自の数値目標を掲げて運営しています。 施設が完成するまでは、できるだけ多くの人に町に来てもらいたいと思い、スポーツのイベントも講演会も、町の体育館や役場のホールを使用していました。きっかけはなんでも良いので、足を止めた時に、町の中に面白いと思えるものがあり、またここに来たいと思える場所をつくりたいと思い、SUMICAの活動を行っています。

また、「まち家 世田米駅」でお昼に働いていただいているのは、昼間の5時間だけ働きたいという子育て中のお母さんたちです。私と同世代であれば、赤ちゃんや小さいお子さんがいらっしゃるため、もっと短時間で仕事をしたい。可能ならば赤ちゃんも一緒に連れていける職場で働きたいといったニーズがあります。
子育て世代の女性が仕事に復帰できなかったり、そもそも仕事の選択肢がない状況は大きな問題だと考えています。そこで、施設内に託児所のようなものが設置出来たらと考えています。そんな準備を今、いろいろな人の意見を聞きながら進めています。

前職の経験が役立っていること。地域だからこそ自らやるべきこと

町の様々な方と話をする機会が多いのですが、リクルートの営業経験で培った人の懐に入り込む力が役立っていると感じています。しかし、地域の場合は、短時間で懐に入るのはなかなか難しいことです。相手の信頼を得るにはゆっくり時間をかけなければなりません。
そのためには足繁く通い、覚えてもらうことが大切だと実感しています。移住して最初の1年は、飲み会のお誘いは基本断らずに出席しました。そんな場所でないと相手の本音は聞こえてこないと思い、そこでも話を聞くようにしました。当然ですが、たった一度で仲間だと認識してもらうことは難しい為、何度も繰り返し顔を見せて覚えてもらうようにしています。
また、イベント開催や新しく何かを始める時には協力者を募ることが多いため、営業経験で学んだ、人を巻き込む力が生かされていると思います。
東京で働いていたというだけで、こちらでは「東京でバリバリのキャリアウーマンだった」と思われています。そのキャラ設定がある故に、町に視察に来られた方などいろいろな方と話をする機会が多くあります。周囲から期待されているからこそ、まだまだできることがあるのだと思います。
仕事ではアウトプットすることが多いので、東京や新しい地域への出張などに積極的に出向き、新たな出会いから得られた刺激を吸収するようにしています。そして、インプットできたことを町での活動に活かしています。

人と一緒にいられる時間が大切に。幸せの価値観が変化

住田に移住して、価値観が大きく変わったと思います。リクルートに勤めていた頃はバリバリ働き、お金を稼ぐことが幸せの価値観でした。終電まで働きタクシーで帰る生活がしっかり働くことであり、そんな生活に酔っていたところもあったと思います。
しかし、震災を機に考えが変化しました。あの日は帰宅難民となり、朝まで東京駅周辺で過ごしたのですが、朝になって主人の家へ戻った時、テレビの映像で東北の惨状を知りました。その時、どれだけ忙しくどれだけ稼いでも、本当に大事な人の傍に一緒にいられないと意味がないと強く思いました。あの震災がなければ、そのように感じなかったと思います。
お金を稼ぐことはもちろん大事ですし、社会的な地位を上げることも、今でも大事だと考えています。しかし、家族や友人など、人と一緒にいられる時間を大切にしようと思えるようになったことは、私にとって幸せの価値観が大きく変わったことの証ではないかと思います。

例えば、東京では何百人、何千人の人がやっていることが、岩手県ではまだ数十人しかやっていないこともあります。住田ではまだ誰も取り組んでいないので、自分が第一人者になれます。
現在もサラリーマンといえばサラリーマンです。与えられた仕事の目標達成率をいかに高めるかを考え、新しいものを見出し、価値を提供できるか。そして、それに賛同する仲間をどう増やすかといった考え方に変化したのは、こちらに来てからだと思います。

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住田での経験から学んだことは、何よりも有言実行と行動力

住田で暮らして2年ほど経過した時、この仕事は目に見えないものを追わなければならないため、自らマイルストーンを設定しないと疲弊してしまうと感じました。以前は私がいなくなっても、回る仕組みをこの町に残すことができればいいと考えていたのですが、最近は変化してきています。
田舎においては、何を言うかよりも、誰が言っているかの方が強いということが多々あります。正しいことを言ったとしても、その人が知られていなかったり、信頼されていないと話が通らなかったりします。仮に私がいなくなってしまった場合、今の仕組みはすぐになくなってしまうと思います。だからこそ、活動を継続させることが要だと思っています。
また、今まで住田に来たことがない人が来てくれたり、様々な場面で住田の話をさせてもらえる機会が増えたり、視察に来られる方が多くなったなどを自分の中で数値化することによって、自らの成長を意識するようにしています。

別の観点からは、人間関係に瞬時に気づき、誰がキーマンで、この人にこういう話し方をすれば事業をうまく進めてくれるなど、田舎での人を見抜く力はだいぶついてきたのではないかと思います。
また私は、八方美人なところもあり、いろいろな声が聞こえてきて、落ち込んだりした時期もありました。現在は、敢えて流すような鈍感力も身についたように思います。経験や年齢を重ねてきたこともあると思いますが、何かを言われて一喜一憂していたら、その日一日のパフォーマンスが下がることに気がついたこともあります。
そもそも成功するまでは叩かれるもの。きちんと結果を出せば褒めてくれる人たちなので、それまでは何を言われてもやろうと思うようになりました。一番良くないのは、やると言ってやらなかったり、一度失敗したからやめるという方が絶対に受け入れてもらえません。このことは、5年経って漸く気づいたことです。

地域全体で子どもの育成・女性の活躍を目指したい

今後の取り組みとして、「まち家 世田米駅」に「子ども食堂」を開設したいと考えています。両親が共働きの子どもや何らかの事情があって居場所のない子どもが集まる場を設け、みんなで料理を作り、一緒に食べようという取り組みは全国各地に広がっています。
「子ども食堂」は、保育士の免許を持っている人が常時2人以上いれば開設できます。国が厚生労働省に、厚生労働省から行政にお金を出し、そこから民間委託が可能となります。住田で子育て中の女性で、保育士、看護師の免許を持っている方は多くいます。施設がそういう場になれば、自分の子どもを連れてきながら、日中何時間か働くという新しい働き方がつくれるのではないかと思います。
また、毎週火曜の朝9時から夕方16時に、施設の隣で社会福祉協議会による「認知症予防カフェ」が開かれています。高齢化が進むと、1軒1軒回っても追いつかないぐらい独居老人が増えています。家に行くのではなくて、居場所をつくってそこに来てもらうことで、見守りも含めて確認しようというのが「認知症予防カフェ」です。
毎週火曜であれば、おじいちゃん、おばあちゃんが隣に20~30人いらっしゃるので、「子ども食堂」を含めて、地域全体で子どもを育てるような取り組みもできないかと考えています。

近い将来、女性が楽しんで働ける場所をこの町に

リクルートを退職してこちらに来る時に、自分が選んだ道は正しいと思えるようにして、絶対に楽しくしたいと思っていました。今、何が楽しいのかを考えた時、結婚しても仕事を続けられていること。子どもを産んでも、子どもを見てもらいながら、楽しんで働ける環境にいることがあります。

そんな私に続く人がこれからもっと出てくると思うので、この町に女性が活躍できる場所をつくっていきたいです。女性が元気だと、子どもも高齢者も生き生きと過ごせるのではないでしょうか。女性と高齢者と子どもの問題は一緒に取り組むことが出来ると思っています。

wizやSUMICAでの活動によって雇用を生み、お金がまわることを、岩手や住田の人たちに認めてもらい、取り組んだことに対して対価が支払われることが当たり前という地域社会になることを目指して、メンバーとともに活動を展開していきたいと考えています。

住田町の復興を支える植田敦代さんについて

――植田敦代さん(以下、敦代さん)はどんな方だと思われますか?

多田欣一さん:
住田の人間にはなかった思考回路を持っているところが大変気に入っています。地元の人間では成し得なかったことを一つひとつ着実にやってくれる人です。私からすると、多少、遠慮深い面もあるので、もっと強引でもと思う時もありますが、町の人たちと上手くコミュニケーションを取りながらが、彼女のやり方です。町の人たちは、この町を良くしてくれる人が来てくれたという捉え方で、敦代さんに共感し、理解してくれているのではないかと思います。

村上健也さん:
 積極的に町の人たちと交流し、輪を広げていく。この町にあまりいなかったタイプだと感じています。敦代さんには扉がなく、どんどん入っていくところが素晴らしいなと思います。

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――敦代さんが住田町に移住し、仕事をされて、どのような影響を与えていると思われますか?

多田欣一さん:
敦代さんがこの町に来るまでは、陸前高田市や大船渡市を含め、よその人に住田に来てくださいとラブコールをしても、魅力がないのか、我々の発信が悪いのか、あまり来てくれる人がいませんでした。
敦代さんはリクルート出身ということもありますが、学生時代からいろいろな人脈を構築されてきた人です。そのネットワークの人たちに対し、「住田はいいところだよ」とアピールをしてくれて、実際に来てくれた人たちが「住田はいいところだったよ」と発信してくれました。このようなネットワークは、これまでこの町の人間は持っていなかった。だから、いい意味で、敦代さんは「人さらい」だと思っています(笑)
 敦代さんをはじめ、ネットワークで広がった様々な人たちの力で、この町に目を向けてくれる人が本当に増えてきました。我々が知り合うことがなかった考え方や発想、能力を持った人たちが来てくれることは、この町にとって大きなプラスになっています。そんな人たちをこの町から逃がさないようにしたいと思います。

村上健也さん:
確実に交流人口が増えていると思います。「まち家世田米駅」ができる前からも交流人口を増やす仕掛けはしていましたが、この施設ができたことでなおさら増えました。小さい子どもから我々と同年代、おじいちゃん、おばあちゃんの懐にまで、すっと入っていくのは上手で、心を掴んでいると思いますね。
また、お互いに何かが際立つ人同士がいると、結びつかないところがあると思います。そんな人たちがいた時に、彼女がいて、気がつくといつの間にか両方が仲良くなってしまうという感じがあります。何かをやろうとした時に片方をすっと誘ってきてくれる。そういうのは上手ですね。相手の様子を見ながらだと思うのですが、とても自然なんです。

多田欣一さん:
周囲への配慮が素晴らしいと思います。人に対する優しさがいっぱいある。町の人といろんな話をして、落ち込むこともあるだろうと思うのですが、そういう姿はあまり表に出しません。コミュニケーションの取り方が上手ですし、よその人たちと地元の人たちを上手くミックスさせてくれる能力が高いと思います。

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――今後、敦代さんに期待することはどんなことでしょうか?

多田欣一さん:
町の様々な問題は、敦代さん一人の力だけではどうにもなりません。けれども、敦代さんがいることによって、敦代さんに声をかけられたから力になってやろう、ちょっと町に寄ってみようとなったり、そんなことをするのであればこういう人材を送ってやろうといったつながりができます。そして、こんなものを地域に残してくれたということを敦代さんらしく、もっともっとやっていってくれたらいいと思います。
今回、住田町地域おこし協力隊で優秀な隊員を揃えてくれたのも彼女です。この町を元気にするために3年間ここで頑張ろうという人材を連れてくることは、この町の人間にはできないことです。大船渡市、陸前高田市からも、住田にはいい人材が集まったと言われています。いろいろな能力を持った人たちをこの町に呼び込む力を活かし、今後も「人さらい」としての敦代さんに期待しています。

村上健也さん:
今後、敦代さんの存在に後押しされる人が出てくると思います。それに伴い、交流人口や定住する人たちが増えるといいと思っています。
女性でバリバリ働く人は地方では少ないので、いろいろな殻を破ってもらって、女性も外でどんどん働くロールモデルをつくっていって欲しいですね。

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