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超大手電機メーカーから一転、高知の地方企業へ転職 四国のトップ企業を目指し組織改革に挑む
廣瀬製紙株式会社 馬醫光明氏
SELFTURN ONLINE編集部
2017/03/22 (水) - 08:00

日本の超大手電機メーカーから、奥様の生まれ故郷である高知にIターンし、廣瀬製紙株式会社に転職した馬醫光明さん。マレーシアでの4年間の勤務を終え、帰国するタイミングで奥様の妊娠が発覚。出産や子育ての環境として、生まれ故郷である高知に住むことを奥様から熱望され、高知で転職活動を開始。高知で名の通った人材紹介会社の紹介により「廣瀬製紙」に転職。現在、代表取締役として多忙を極める馬醫さんに、自身の転職、現状取り組まれている組織改革など、リアルな話を伺いました。

海外勤務の夢を実現。経理と人事、ハイブリッドに働く日々

実家が京都だったこともあり、大学は地元の立命館大学に通っていました。そのまま院まで進み、経営学研究科を専攻。当時から会計やコンサルティングに興味があり、就職先もそのあたりの分野を志していたので、オンライン教育方式の経営大学院などで自主学習も重ねていました。ただ、外資系のコンサルティング会社などは倍率も高く、内定をもらうのがなかなか難しくて。もう一つ、高校時代の留学経験から、ずっと自分の中にあった「海外で働きたい」という思いを叶えるべく、松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)に経理職として入社しました。
松下電器産業では、経理職も社長に同行して海外に行く機会が与えられることを知っていましたし、経理職は営業職などに比べると人数も少ないため、より海外に行ける可能性が高いというのも、入社の大きな決め手となりました。

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台湾の会社は「ミニ松下」と言われていて、テレビ・冷蔵庫・洗濯機・カーナビとありとあらゆる製品を扱っており、中国の拠点も合わせると、従業員は約5000人にも上る。そこで経理などの実務を経験しました。その後、マレーシアの新会社立上げに管理部門の取締役に任命されたのですが、それまで経理の経験しかなかったので、正直戸惑いました(笑)。とにかく手探りで経験を重ねて、ちょっとずつ感覚を掴んでいくような感じで。最終的には2500人くらいの従業員を雇ったのですが、マレーシア人だけでは到底集めることができず、ベトナム人やミャンマー人、インドネシア人など国を超えて採用しました。マレーシアの首都クアラルンプールも人がいないので、奥地の村にまで人を探しに行くような取り組みもしました(笑)。

家族のために、高知で転職。壮大なミッションが幕を開ける

6年間の海外勤務を終える頃、日本に帰国したら姫路工場の経理責任者を務めてくれないかと声をかけていただいていたんです。でも、ちょうどその頃妻の妊娠がわかり、日本で出産するため妻の実家がある高知に、一足先に帰らせました。同時に、上の子どもが小学校に入学するタイミングでもあったので、私は1年間単身赴任することにしました。海外で働き続けたいという思いは変わらなかったので、転職先を海外で探すことも考えたのですが、「高知に住みたい」という妻の強い希望により、高知で暮らし、この地で仕事を探す道を選んだのです。

高知県で求人を出している企業は、都心に比べると当然限られているため、希望に合う会社はなかなか見つかりませんでした。そこでたまたま、高知で名の知れた人材紹介会社を発見し、廣瀬製紙を紹介してもらったのです。
その頃、廣瀬製紙は新工場の立ち上げを間近に控えていました。さらに、経営陣を総入れ替えし、事業拡大を志す、第二創業期にさしかかっていたのです。また、社長自ら自社の技術について熱く語ってくださり、技術への熱意と可能性を強く感じました。

実際に入社してみると、それはもう大変でした(笑)。地方の中小企業は都心の大手企業と比べると管理部門が弱いことが多く、廣瀬製紙もまさにそのケース。そこで私に課せられたのは、大手企業で培った経験をもとに、廣瀬製紙の管理部門を整備して組織の大改革を実現させるという、壮大なミッションだったのです。
入社後、まずは1週間で一通りすべての部門をみて、そこで気付いた問題点を管理職全員に伝えました。最初に伝えたのは、PDCA(plan-do-check-act)ができていないということ。また、5Sを徹底して在庫管理をきちんとやりましょう、というこの2点。
でも、ミッションは思うようには進みませんでした。前職では、決定事項に従ってもらう、いわゆる欧米型のマネジメントで成り立っていたのです。でも、地方企業である廣瀬製紙では、そう簡単にはいかない。突然よそからやってきた者が改善しようとしても、変化に対するアレルギー反応もあるでしょうし、賛同してくれる人は誰ひとりいませんでした。

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そこでまず取り組んだのは、工場内のゴミ捨て。最初の3〜4ヵ月は、一人でひたすらゴミを捨て続けていました。また、固定資産台帳も、写真を撮って銘板を作って、半年くらいかけて一から整理しました。稟議などはすべて電子決算のワークフローにのせたり、基礎となるところをひたすら整備していったのです。
また、「感動工場」というコンセプトを掲げ、工場見学の際にお客様へ5Sで感動を与えること、「工場は最大の広告塔」になる、ということを啓蒙していきました。
さらに「1/2ものづくり」というコンセプトも掲げ、在庫や損紙を半分にし、その上で業務効率化の実現に取り組んでいます。

やがて業務改善が進み、工場で抱えていた在庫が減り、景色が変わるにつれて、一人、また一人と協力してくれる人が現れました。
組織を動かす、人を動かすということは、容易なことではありません。それは、大企業でも中小企業でも同じ。工場を奇麗にした方がいいなんて、誰もが思っていることです。でも、誰かがやってくれると思っているから、わかっているけどやらない。普通は皆、そういうものなのでしょう。他人は変えられないから、自分がアクションを起こすしかない。自分がアクションを起こし続ければ、もしかしたら変わってくれる人もいるかもしれない。変わってくれなかったら、また別のアクションを起こせばいい。私はそう思います。

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会社が成長を遂げるためには、営業力の強化も不可欠。入社の翌年につくった技術開発営業という部署では、元TOYOTAの人や元サンヨーの人、大学院のポストドクターなど、新たなメンバーを積極的に採用しています。今いる従業員のスキルを引き出し、業務で発揮させ、足りない部分は外部から人を採用して、うまく融合させる。人が育ち、和を大切にできる文化が根付いている組織は、やはり強いと思います。
まだまだチャレンジの途中ですが、ビジュアルマネジメントによって職場の見える化を推進し、会社をさらに成長させていきたい。それが実現できたとき、業績や従業員数、満足度などで四国有数の企業になるはずだと信じています。
組織改革は、やっているときにはわからないけれど、振り返ったら驚くほどに変わっているもの。これから見える新たな景色が、楽しみです。

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廣瀬製紙株式会社 取締役 経営管理センター所長 経理・人事・モノづくり改革担当

馬醫 光明さん

1976年、京都府京都市生まれ。立命館大学大学院経営学研究科卒業。大学時代から会計やコンサルティングに興味があり、関連書籍やオンライン教育方式の経営大学院などで学びを重ねる。また、留学経験から、海外で働くことへの強い願望があり、卒業後は松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)に入社。国内工場の経理責任者として従事する傍ら、社内でリクルーターとして選抜され、人材採用にも携わる。その後、台湾の工場で2年間勤めた後、新工場立ち上げのためにマレーシアへ異動。約2,500人が働く工場で、経理・人事などの管理部門の取締役として4年間従事。2013年の帰国後、奥様のご実家がある高知に移住し、廣瀬製紙株式会社に入社。2014年より廣瀬製紙株式会社の取締役、2015年よりテクノヒロセ株式会社の代表取締役社長に就任。家族は、妻と子ども2人。

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